主要選手欠場で揺れる「柔道・全日本選手権」 鈴木桂治・男子代表監督はどう考えているのか

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前年優勝者が不参加

 1948(昭和28)年に始まった全日本選手権は、伝説の強豪・木村政彦(1917~1993)と石川隆彦(1917~2008)が引き分け優勝となった第2回大会をはじめ、山下の9連覇、軽量の「平成の三四郎」古賀稔彦(1967~2021)の準優勝など、数々のドラマを生んだ。体重無差別で「柔道日本一」を決める伝統の大会として、柔道を志した男の憧れの舞台だ。

 ところが今回、5月7日から世界選手権がドーハで始まることで、重量級の代表に選ばれている前年優勝者の斉藤立(21=国士舘大4年)と準優勝者の影浦心(27=日本中央競馬会)の2人が参加せず、世界選手権参加者で登場したのは団体戦に出る田嶋だけという寂しい大会でもあった。来年の大会についても、パリ五輪の開幕が7月に迫る中で怪我を恐れた代表選手の欠場が予想される。

 さらに、4月23日に行われた皇后盃全日本女子柔道選手権大会も、東京五輪の金メダルコンビの素根輝(22=パーク24)と濵田尚里(32=自衛隊体育学校)が不参加だった。

国際柔道連盟に振り回される日本

 主要選手が欠場した背景には、昨年、国際柔道連盟(IJF)が2023年8月に開催予定だった世界選手権を5月に前倒しすると発表したことがある。このため全日本柔道連盟(全柔連)は、選手の調整期間などを考慮して、2022年12月には早々に男女18人の代表選手を内定させた。

 そのため代表選手は春の全日本体重別選手権と今回の全日本選手権を欠場し、この歴史ある2つの大会が世界選手権やオリンピックの選考会にならなくなった。これまで全日本選手権はオリンピックや世界選手権の男子100キロ超級の選考大会の一つでもあったが、選考に関係なくなったことで関心も薄まった。事実上「柔道日本一を決める大会」とは言えなくなっている。

 試合終了後、男子日本代表の鈴木桂治監督に「全日本(選手権)が今回、日本一ではなく日本3位を決めるような大会になっているのではないか」と聞いてみた。

 鈴木氏は「国際柔道連盟と全柔連のスケジュールの違いですので、出られない選手がいるということは仕方がない面もある。でも、もっともっとこの大会をレベルの高いものにして日本全国から注目されるようにするには、少し変化をつけていくようにしないと」と話した。

 全日本選手権は毎年4月29日開催と日程が固定されている。

「体にそう植え付けられていますので、4月29日になれば『あっ、全日本だな』と思います。それだけのために誰が出てこない、出られないということでいいのかとなると、もったいないと思います。まして今回でいえば、斉藤立が連覇もできない状況になった。柔道の歴史を考えてもったいない。柔道界のことを考えたら少し検討することも必要なのではないか」と鈴木氏は慎重に言葉を選んで話した。

 鈴木氏は日本側がIJFに合わせることを示唆したが、全柔連は振り回されるだけでなく、強く全日本選手権の価値を訴えてほしいと思う。「小よく大を制す」の魅力を秘める無差別級は、世界選手権では消えたり復活したりしたが、オリンピックでは以前はあったが消えたままだ。

 毎年、昭和天皇の誕生日(昭和の日)に行なわれてきた全日本選手権。今回2人の「昭和生まれ」が出場していた。

 沖縄出身でベルギー人の母をもつ人気選手で、全日本選手権準優勝や世界選手権男子100キロ超級で2位の実績のある七戸龍(34=九州電力)は、2回戦で小川雄勢(26=パーク24)に敗れた。「全日本選手権には12回も出場させてもらい、悔いはない。指導者として九州からいい選手を出したい」と語った七戸は、この大会からの引退を表明した。

 同じく2回戦で敗れた熊代佑輔(34=国際武道大学教員)が来年も奮起して登場しなければ、昭和以来の伝統の大会から「昭和生まれの選手」がすべて消えることになる。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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