長嶋茂雄「怒ったふり作戦」に「4倍返し」…現役時代の「ミスター伝説」を振り返る!
もうひとつの天覧試合
体調不良でリハビリ中の長嶋茂雄巨人終身名誉監督が、阪神戦が行われた4月12日、東京ドームに来場し、打撃不振の坂本勇人を直接指導した。87歳になった現在でも、野球への熱い思いは健在だ。長嶋氏は2013年5月5日に松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞したことでも知られるが、“燃える男”と呼ばれた現役時代には、いかにもミスターらしいビックリ仰天のエピソードや思わず微笑ましくなる“ちょっといい話”も数多い。国民栄誉賞受賞からちょうど10年。メモリアル・デーの5月5日に合わせて、これらの“ミスター伝説”を3回にわたって紹介する。第1回は、現役時代の「痛快極まりないプレー」をプレイバックしてみよう。【久保田龍雄/ライター】
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現役時代の長嶋茂雄といえば、プロ野球史上初の天覧試合となった1959年6月25日の阪神戦での劇的なサヨナラ本塁打が有名だが、実は、もうひとつの天覧試合、66年11月6日の日米野球、第11戦(巨人対ドジャース戦)でも、風邪を押して出場し、初回に貴重な先制本塁打を放っている。
風邪をひいたのは、11月1日に富山で行われた第8戦(巨人対ドジャース)の直後だった。「週刊ベースボール」(66年11月21日号)によれば、2日早朝に帰宅した長嶋は体調不良を訴え、すでに鼻風邪をひいていたが、「大事にして寝ていなさい」という亜希子夫人の制止を振り切って私用で外出したことから、さらに悪化、38度の高熱で床に臥したままになり、3日の第9戦、5日の第10戦(いずれも全日本対ドジャース)を欠場した。
「陛下の前で試合をしたかった」
だが、食事もほとんどのどを通らない状態にもかかわらず、天覧試合に特別な思いを抱く長嶋は「どんなコンディションであっても、(6日の)試合だけは出たかった。倒れてもいいと思った。死んでもいいと思った。陛下の前で試合をしたかった」と体調不良を押して、全日本の3番として出場する。
そして、1回2死、長嶋は19歳の速球投手・フォスターの初球を左越えに先制ソロ。とても前日まで風邪で寝ていたとは思えない豪快弾だった。
1対1の4回の2打席目も、フォスターが初球に危険球を投じてきても、冷静さを失わずに三遊間を抜き、一挙3得点につなげる。さらに、7回にもこの日3本目の安打を左前に放ち、10点目のホームを踏んだ。
11対3の快勝後、長嶋は「今日は一生懸命だった。両陛下がご覧になっている前で、こんなに打てたのは本当にラッキーだ。7年前を思い出したね。(本塁打で)ベースを回るときはうれしかった。幸せだよ」と最高の笑顔を見せた。
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