イタリア出身の翻訳家、イザベラ・ディオニシオが語る「木綿のハンカチーフ」に魅せられた理由

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短編小説のような名曲

 イタリア出身の翻訳家で、『女を書けない文豪たち イタリア人が偏愛する日本近現代文学』などの著書で知られる、イザベラ・ディオニシオさん。彼女が心引かれる一曲というのが、日本歌謡界の名曲「木綿のハンカチーフ」だ。ヒット当時、生まれてすらいなかった彼女はどうしてこの音楽に魅せられたのか?

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 この話をすると好みが渋いと言われてしまうけれど、「木綿のハンカチーフ」という曲が大好きだ。

 ヒットしたときに日本にいなかったばかりか、まだ生まれてもいなかったので、もちろんそれをリアルタイムで聴いているわけではない。昔友達がくれた椎名林檎のCDに入っていたカバー曲がお気に入りで、1975年のオリジナルはずっと後になって知った。普段聴く音楽のジャンルと全然違うのに、CDをかけた瞬間から、何かの因果のように、歌詞が不思議と私の耳の底に残った……。

 明るくて軽快な音楽とは裏腹に、歌は悲しい結末へと一直線に進む。過去にへばりついて否定し続ける女と大都会に迷い込んでいく男の会話はまるで短編小説のようだ。何回聴いても感動させられる、素晴らしい曲だ。

元カレが放った陳腐なセリフ

 厳密にいうと男女の立場は逆転しているが、私にも「木綿のハンカチーフ」的瞬間がある。“東へと向かう列車”に乗り込んでから何十年も経ってしまった今、完全に“都会の絵の具に染ま”りきったものの、(ごくたまに)あの日の記憶がよみがえる。

 おおよそ20年前、日本文学の研究を極めるべく留学を決意して、その準備に取り掛かった。遠距離は無理だったし、当時のカレシとはいずれ別れることになると最初からわかっていた。

 出発までの時間はどういうふうに過ごしたか、その記憶はもはや忘却の彼方に葬られている。しかし、例のカレの反応だけは、かすかに思い出せる。私を引き留めようとしたり、否定したりするようなことはなかった代わりに、「2年後、留学が終わったらここでまた会おう」とかなり陳腐なセリフを言い放ったのだ。しかも、夕焼けの陽光を浴びて、金色に輝いていたヴェネツィアのサン・マルコ広場をバックに。考えるだけでムズムズするような恥ずかしさが湧いてくる。

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