ジェンダーレスをフックにミキモトを進化させる――中西伸一(ミキモト社長)【佐藤優の頂上対決】
冠婚葬祭の装いといえば、真珠のネックレスである。だがいまや結婚式や披露宴は減り、葬儀の簡素化も止まらない。そこにコロナ禍が拍車をかけた。今年は御木本幸吉が真珠の養殖に成功して130周年に当たる。それを受け継ぐミキモトは、今後、どこに活路を求めていくのか。老舗企業の挑戦。
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佐藤 今年は真珠の養殖成功から130周年だとうかがいました。
中西 はい。創業者の御木本幸吉が三重県鳥羽で、世界で初めて真珠の養殖に成功したのが1893(明治26)年でした。
佐藤 養殖成功は、歴史を大きく動かします。当時、天然真珠をほぼ独占的に販売していた中東諸国に壊滅的な打撃を与え、それまで拒んでいた外資による石油採掘を受け入れざるを得なくなります。これによって大油田が発見されて、「石油の世紀」が始まりました。一方、ミキモトは短期間に世界中で認知されていきます。
中西 この本店には世界各国のVIPやそのご夫人方がいらっしゃいます。たいへんありがたいことです。
佐藤 外務省も海外から来日された賓客の夫人を、よくこちらへ案内していました。世界各地に店舗があると思いますが、いま会社の規模はどのくらいですか。
中西 店舗数は銀座やロンドン、パリ、ニューヨークなど全世界で96店舗あります。そのうち国内が56店舗です。従業員は国内が約700名、海外を入れて1200名ほどです。
佐藤 売り上げだと、海外の比率の方が大きいのではないですか。
中西 昨年の売り上げで言いますと、6対4くらいで、国内の方が多いですね。
佐藤 やはりこの3年にわたるコロナ禍の影響は大きいですか。
中西 ものすごく影響を受けています。昨年から売り上げはかなり戻ってきていますが、2019年まで265億円ほどあったのが、2021年には約145億円になりました。100億円以上が消えたことになります。
佐藤 国内消費が冷え込んだだけでなく、インバウンドもなくなった。
中西 外国から日本に来られなくなりましたからね。そして国内でも、集まるな、群れるな、外出するな、でステイホームでしたから、当然、お客さまがいらっしゃらない。
佐藤 装飾品を身に着ける機会である冠婚葬祭も自粛でした。
中西 結婚式も披露宴もなくなりましたね。ただそれは、コロナ前から少しずつ起きていた変化でもあります。
佐藤 結婚式を行わないカップルも多いですし、お葬式は家族葬、直葬とどんどん縮小化していました。
中西 日本に根強くあった折々の祭事や人生の節目の儀式などがどんどん失われている。それに伴い、祭事や儀式で身に着けるものへの関心がなくなってきていました。
佐藤 そこにコロナが拍車をかけた感じですね。私はもう、以前のような社会には戻らない気がします。
中西 私もそう思います。だから私どもも時代に合わせて変化しています。
佐藤 百貨店の衰退やデジタルトランスフォーメーションなど、会社を取り巻く環境も大きく変わっています。
中西 さらに世界第2位の経済大国だった日本は第3位となり、少子高齢化、人口減の成熟社会で、モノを必要としなくなっている。宝飾品市場はバブル期の3分の1になりました。消費マインドが冷えるだけ冷え込んだ状態です。そこにコロナが加わり、逆風をもろに受けた。でもその時、私が思ったのは、それでもミキモトには145億円の売り上げがある、ということです。
佐藤 腹が据わっておられますね。同じ事柄でも、コップの水が半分になったと見るのか、まだ半分あると見るのかではまったく違います。
中西 これ以上悪化するのは、戦争か大震災の時しかない。それなら145億円からミキモトを進化させていけばいいと考えたのです。
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