武藤敬司は「プロレス界のGW男」 アントニオ猪木がグレート・ムタに翻弄された日

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プロレス界の「GW男」

 自身への高評価は、昼下がりの地上波で2時間生中継された、1999年の「G1 CLIMAX」決勝戦でのやり取りにも明らかだった。公式戦で小島聡、同点進出戦で永田裕志を下すも、最後に中西学に敗れ、準優勝。

「あの時、永田選手は、『(同世代の)3人でようやく、武藤選手を倒せた』と仰ってたんですよ」

 筆者が水を向けると、「いや、それよりもさ」と武藤。

「あの時は、2時間の生中継が入ってたじゃん? で、俺は出ずっぱり。要するに2時間画面を持たせられるのなんて、この俺しかいないってことだわな(笑)」

 そういえば、まだデビュー3年目の1987年には、そのスター性を物語るように、巨匠・相米慎二監督の映画「光る女」に、請われる形で主演に抜擢されている。

 その武藤がキラ星のごとき名勝負を生み出し続けたのが、このGW期だった。個人的な見解を許して貰えるなら、武藤こそプロレス界における,少なくとも最初のGW男だったと思う。その理由は後述させて頂くが、福岡ドーム初使用となるムタVSハルク・ホーガンから魅せた(1993年5月3日)。

 何せ当時のホーガンは現役のWWFヘビー級王者。対してムタはIWGPヘビー級王者だった。しかもムタはアメリカ修行中、当時のWWFの対抗団体であるWCWでトップ戦線に食い込んでいた。つまりはアメリカでは絶対に観られぬ夢の対抗戦的意味合いもあったのだ。現在のようなネット配信環境であれば、海外から多大なアクセスが見込まれたことが確実な一戦であった。

 ノンタイトル戦ではあったが、試合はムタが奔放なファイトを展開。会場に吊されていた縄橋子にブラ下がりホーガンにアタックしたかと思えば、花道で助走をつけてのラリアットに、リング内ではムーンサルトと、文字通り縦横無尽に躍動。ホーガンはそれらを受け切り、勝利。フィニッシュに選んだのはアメリカで常用していたギロチンドロップではなく、日本でのそれ、アックスボンバーだった。試合後はこう言った。

「ここにあるWWFのベルトなんて、クリスマスツリーの飾りにくらいにしか思ってないぜ。IWGPのベルトの方が、ずっと価値がある」

 リップサービスだったのかも知れない。だが、そうとも言い切れない理由もあった。ホーガンこそ、今からちょうど40年前、猪木をアックスボンバーで失神KO&病院送りにし、そのベルトを腰に巻いた、最初のIWGP王者だったからだ。

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