53歳で「世界一周ヨットレース」優勝 多田雄幸はなぜ世界中にファンを生んだ?(小林信也)
白石康次郎を薫陶
多田の描いた絵を見せられ、「なぜそのような抽象画を描くのか」と聞いた時だった。私の言葉には、なぜそんな下手な絵を?とのニュアンスがあったのだろう。多田は鋭く目をむいた。
「世間の常識にこだわる方がおかしいんだ。形になんて、意味はない!」
田舎の保守的な息苦しさに苦悩し、多田は常識や世間の枠組みからの脱却に挑み続けてきた。わかります、自分も同じ気持ちです、と言いたげな私に、「一緒にするな、お前に何がわかるか!」と一喝されたのだ。
多田の快挙に触発されて弟子入りした高校生が、後にヨットマンとして数々の実績を重ねる白石康次郎だ。多田がいなければ、白石の冒険人生もなかった。
多田は90年、第3回アラウンド・アローンに出場した。9月にスタート。ケープタウンに寄港した後、南氷洋で3度、ヨットが横転した。無線機や電子機器などが壊れた。翌91年1月、シドニーに寄港した時、多田は参加6艇中5位。ここでレースを棄権した。そして3月8日、シドニーのホテルで自ら命を絶ち、孤独な航海に終止符を打った。
まもなく5月17日、あの優勝から40年を迎える。
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