「無縁遺骨」は今後急増化 墓標より情報の多いSNSが墓石代わりに?(古市憲寿)

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 身寄りのない死者が増加傾向にある。「無縁遺骨」とも呼ばれるが、身元がわかっていても親族と疎遠で引き取りを拒否されるケースも多いのだという。2021年度だけでも、行政が親族に代わって葬祭費を負担した例は、全国で約4.8万件に及んだ。

 21世紀半ばにかけて、無縁遺骨はさらに深刻な問題となっていくだろう。第一の理由は婚姻率の低下。たとえば現代の80代や90代は、ほとんどが結婚経験のある人たちだ。子どものいる人も多く、年下の親族がいる可能性が高い。

 だが世代が下ると状況は変わってくる。2020年、50歳までに一度も結婚したことのない人の割合は、男性が28.25%、女性が17.81%に達した。4人に1人は結婚しない時代なのだ。

 ここに、きょうだい数の変化という風潮が加わる。子どもが3人以上の世帯が減っていて、一人っ子家庭の割合は増加傾向にある。つまり「配偶者がいない」に加えて「きょうだいもいない」という人が増えつつあるのだ。

 これまでは「無縁」といっても、離婚した元配偶者やきょうだいがいるというケースが多かった。だがこれからは遠い親戚しかいない、本当に身寄りのない死者が増えていく。例えば2050年の死亡者は160万人前後と推計されているが、うち未婚者は概算で20万人以上、そのうち1割程度は一人っ子である。

 この本当の「無縁」時代に、社会はどう対応すればいいのか。一つは血縁以外の「縁」の拡大だろう。現在も自治体が独自に展開するLGBTに対するパートナーシップ制度はあるが、異性の法律婚以外のさまざまな「縁」をサポートする制度が必要だ。恋愛相手ではなく、友人に遺産を託したい人もいるだろう。「おひとりさま」は必ずしも「無縁」と同義ではない。未婚で一人っ子だとしても、友人がいる人を「無縁」扱いする必要はない。

 そもそも弔いのあり方自体を考え直す時期に来ているのかもしれない。現代日本で当たり前とされる「死後は夫婦で埋葬され、子孫がお墓参りに来る」という追悼儀礼は、決して普遍的な風習ではない。先祖代々の墓というのは大抵がフィクションで、墓石墓が普及したのは江戸時代後半以降だ。

 配偶者や子どもがいない人にとって、本当に墓は必要なのか。原理的には火葬時の火力を上げてしまえば、遺灰はともかく、骨は残らない。焼き切りという。

 若くしてこの世を去った友人たちがいる。彼らの墓地の場所を知らないのだが、たまに残されたSNSを見返すことがある。元気だった頃の言葉や写真を眺めながら、彼らを思い出すことも一種の弔いなのではないか。特に現代人は、膨大なデータを残して死んでいく。比べてみると、名前と死没日くらいしか刻まれない墓石は、あまりにも情報量が少なすぎる。墓参りと称して、わざわざ遠くまで出掛けてただの石を見つめなくても、ネット空間やスマホの中には、人々の生きた痕跡が溢れている。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年4月27日号掲載

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