80年にわたる「怨念」の因果か… 青森放火殺人、一族の“忌まわしい”歴史に迫る

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「あの人が十文字家に呪いばかけてしまった」

 三五郎氏は背が高くてスタイルもよく、男前。人柄もよかった、と古くからの住人たちは記憶している。

 近隣の古老が話を続ける。

「三五郎が十文字家に来た後、aが死んでしまった。そこで、彼女の母親であるAは、自分の姪(b)を三五郎の後妻として連れてきたらしいんだよ。で、三五郎とbの間に生まれたのが十文字政吉さん。だから、本来の十文字家の血筋はそこで途絶えてるの」

 その後に登場するのが、亡くなった和子さんと好彦氏の母親、ヨシエさんだ。

「ヨシエは、集落は違うけど、ここら辺の百姓の娘だったみたいで、砂渡っていうの。でも、コレ(性的な行為)がしたいからって三五郎のところに来たみたいなのよ。bもまだ嫁さんとして居るんだから、不倫だよ。だから、俺から言えば、あの人(ヨシエ)が十文字家に呪いばかけてしまったんだかな……」(同)

 三五郎氏とbの間に生まれた政吉氏は当時、

「まだ小さかったんでねぇかな。なのに、ヨシエが割り込んできたの。だから俺の考えだけど、呪いがかかったんでねぇのって。自分の子供、好彦の他に何人も連れてきて、嫁(b)を追い出しちゃったんだもの。嫁はどんな思いで出て行っただかな。息子と一緒に暮らせず離れ離れなんて辛いことだべや。ヨシエが来なければよかったのになぁ」

不本意に分家に

 慨嘆する古老の記憶によれば、この時、好彦氏は12歳過ぎだった。その後、三五郎氏とヨシエさんの間にも子供が生まれた。が、長じて独立したものの、事業に失敗して夜逃げした。

 先の老婆によると、

「その後、ヨシエは自分の連れ子の和子を政吉とくっつけた。この時、好彦をかまど(分家)に出した。十文字家からいくらか土地などをもらったが、不本意に分家にされた形だ。十文字家に入り、自分が後継者になって資産を相続できると思っていたのにできなくなったというのも恨む要因だろう。和子さんは好彦と仲が悪く、“もう話したくない”と言っていたよ」

 本家の嫁となった和子さんと“かまど”に出された好彦氏。その立場の差が、二人の仲を裂いたのか。

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