80年にわたる「怨念」の因果か… 青森放火殺人、一族の“忌まわしい”歴史に迫る
88歳の老婆から、9歳の少女まで――大家族が寝静まった家に火を放つことにより、92歳の老人は積年の恨みを晴らそうとしたのか。青森県六戸(ろくのへ)町で起こった「5人死亡」放火殺人事件。背景を探っていくと、被害に遭った十文字家の「忌まわしい歴史」に行き当たる。
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9歳の少女を含む5人が業火で焼き尽くされた一族には、一筋縄ではいかない忌まわしい歴史があった。それを振り返って、近隣に住む古老の口からは「呪い」という言葉が漏れた。
「俺から言えば、“あの人”が十文字家に呪いばかけてしまったんだかな……」
その十文字家は青森県東部に位置する六戸町犬落瀬(いぬおとせ)にある。犬落瀬という一風変わった地名は、南北朝時代後期、南朝第3代の長慶天皇の潜幸伝説に由来する。
〈長慶天皇が六戸郷の里に入った時、1匹の白い犬が里の川(相坂川)で溺死してしまい、天皇は、この犬を哀れみ、「犬落瀬の里」と命名した〉(六戸町HP)
そんな場所で代々暮らしてきた十文字家の居宅は現在、見るも無残な姿を周囲にさらし、焼け焦げた臭いを漂わせている。黒く煤けながらも等間隔に残っている柱が、かろうじてかつての家の形を示すのみ。それでも、焼け落ちた残骸の多さから、そこに大きな家が建っていたことがうかがえる。熱で変形し、ねじれて折れ曲がったトタン板が端の方に集められている。その量だけでも相当なもので、全ての残骸を解体して運び出すだけでもかなりの時間を要するだろう。ねじれたトタン板どうしが風で揺らされてこすれ合い、キィキィと高い音を周囲に響かせていた。
「見なければよかった」
火災があったのは4月13日午前1時過ぎである。
「寝ていたら消防団用の防災無線が鳴り、9分団ある中の1~5分団まで出動するよう指示があった」
と、地元消防団員の一人が振り返る。
「1時45分ごろに現場に着くと、簡単に近づけないくらいのものすごい火の立ち方だった。数時間後、防火水槽の水が尽きたあたりで現場に近づいた。ちょうど鎮火するくらいのタイミングで、2人分の黒い塊に白いシートが被せられ、運ばれてきた。ショッキングな光景で、見なければよかったと思った」
その家では8人が暮らしていた。十文字利美さん(68)、妻の弘子さん(67)、次女の抄知さん(39)と夫、次女夫婦の長男(16)、次男(13)、長女の弥羽さん(9)、それから弘子さんの母親の和子さん(88)。火災発生当時、在宅していた利美さんと次女の長男、次男は逃げ出して助かり、次女の夫は仕事で不在だった。現場からは和子さん、弘子さん、抄知さん、弥羽さんの他、亡くなった和子さんの兄、砂渡好彦(すなわたりよしひこ)氏(92)の遺体も発見された。
「私が見た遺体は最後に運ばれてきた分だから、和子さんと弘子さんではないか。ちなみに、最初に見つかったのは玄関付近にあった好彦の遺体だったそう。好彦は足が悪いし、“自分も死のう”なんて思うタイプでは絶対にないから、逃げ切れなかったんだろう」(同)
捜査関係者が言う。
「遺体は性別が分からないくらいの燃え方で、中でも9歳の女の子と思しき遺体は、大きさなどから彼女と分かるが、燃え方が特に激しく、焼死と断定ができないほどだ」
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