史上たった一人の珍記録 「全ポジション出場」&「全打順本塁打」を記録した“究極のユーティリティープレーヤー”

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「アホらしい。あんな奇策、どうでもいい」

 だが、主力2人が危険球の犠牲になったばかりでなく、本職ではない投手と対戦することになった近鉄側は面白くない。

 梨田昌孝監督は「アホらしい。あんな奇策、どうでもいい」と不機嫌に吐き捨て、犠飛で1点を追加したあとの1死一塁で打席に立った大村直之も「打ち取られたらむかつくし、打数が増えるのも嫌」と14点差の送りバントを決めた。これで2死。五十嵐は次打者・中村紀洋を右飛に打ち取り、1回を被安打1の自責点ゼロで投げ切った。

 しかし、試合後の五十嵐は「ピッチャーは花形のポジションですから。相手のバッターにも悪い気がして」と複雑そうな表情だった。

 全ポジションとほぼ時を同じくして達成に近づいていたのが、全打順本塁打だった。

「世界記録になるんですか?」

 オリックス時代の2001年6月22日の西武戦、五十嵐は「アリアスの調子が悪いからね」という理由で仰木監督からプロ初の4番に抜擢された。

 シーズン初の3番で出場した6月13日の西武戦でも、1対1の8回1死二塁、松坂大輔から左翼フェンス直撃の決勝二塁打を放った打撃好調を買われたのだ。

“仰木マジック”は見事的中し、6回2死の3打席目、西口文也から右越えソロ。「ホームランまで打ててビックリ」と幸運を喜んだ五十嵐は「あとは8番で打てば、全打順アーチですね」とリーチを宣言した。

 仰木監督も「ホームランを狙え」とハッパをかけ、その後、8試合8番で先発起用してくれたが、「なかなか打てなくて、やっぱり自分はホームランバッターではないと感じました」と生みの苦しみも味わった。

 そして、近鉄時代の翌02年4月21日のダイエー戦、シーズン初のスタメン、8番セカンドで出場した五十嵐は、5回2死一塁、星野順治から右越えに移籍第1号となる先制2ランを放ち、史上6人目の全打順本塁打を達成した。

「ホームランを(打とうと)意識しなくなって、やっと打てました。何人もの監督さんたちが、いろんな打順で使ってくれたお蔭です」と五十嵐は感謝し、前述のとおり、全ポジション出場達成の際にもご縁があった梨田監督も「(ダブル達成は)世界記録になるんですか?」と目を丸くした。

 唯一4番で起用された試合で本塁打を記録し、1、3、4、8、9番でも1本ずつしか打っていない。史上最少の通算26本塁打での達成は、まさに“強運の持ち主”と言うしかない。

 翌03年限りでユニホームを脱いだ五十嵐にとって、この全打順達成弾が現役最後の本塁打となった。

 投打二刀流の大谷翔平も達成していない「超レアなダブル記録」は、これからも五十嵐の名前とともに長く語り継がれることだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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