陸上自衛隊のヘリは海上を飛ばない…沖縄・ヘリ事故のパイロットはいつもの精神状態ではなかったのか
「海軍甲事件」の教訓
第二次世界大戦中の1943年4月、ソロモン諸島ニューギニア方面の前線を視察していた連合艦隊司令長官・山本五十六大将の搭乗機が、アメリカ空軍の戦闘機に撃墜された。いわゆる「海軍甲事件」だ。
この時、リスク回避のため分乗が行われた。具体的には、山本大将は1番機に、参謀長の宇垣纏(まとめ)中将は2番機に搭乗。戦闘機の攻撃で2機とも墜落され、ジャングルの密林に墜落。1番機の山本大将は戦死した。一方の2番機は海上に不時着し、宇垣中将は九死に一生を得た。
「宇垣参謀長は1号機が撃墜された様子を詳細に目撃しており、墜落したおおよその場所も把握していました。もし第8師団が2機のヘリに分乗していたら、被害が半減した可能性があります。さらに、何が原因でヘリがレーダーから消えたのか、片方のヘリが目撃できたことも考えられます。ヘリの場合、墜落地点の上空でホバリングをすることもできます。事故機の発見はもっと早まったかもしれません」(同・菊池氏)
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