「もう一生、女として見てもらえないの?」妻の圧に耐えられず、44歳夫が漏らした禁断の一言

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前編【妻とだけは“できない”夫が語った「お母さん」との原体験 「女って怖いという友人の言葉を思い出した」】からのつづき

 松永隆介さん(44歳・仮名=以下同)は、現在、妻から離婚を迫られている。理由はずばり「セックスレス」だ。夫婦関係の破綻に至るまでの過程にはいったい、なにがあったのか。

 大学生時代に家庭教師先の母親と関係をもち、女性を知った隆介さんは、その後、心からときめく出会いに恵まれないまま、中堅企業で会社員生活 を送っていた。

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 彼が結婚したのは29歳のときだ。相手は友人の結婚式で知り合った、1つ年下の沙代さんだ。よくある話ですよと彼はつぶやいた。

「なんとなく結婚を視野に入れているときにちょうどいい相手が現れた。沙代も僕もそう思った。一緒にいると楽しかったし、彼女の実家に遊びに行ったらご両親の雰囲気が穏やかで温かかった。それで結婚を決めたんです」

 2年ほど共働きをし、32歳のときに長女、3年後に長男が生まれた。長女のときは早めに産まれてしまい、彼は出張中で間に合わなかった。妻から頼まれたこともあり、長男のときは立ち会い出産をした。

「妻の足元にいるとショックを受けるので頭側にいてくださいと言われたんですが、それでも妻が苦しむ姿を見ているうちに、僕のほうが貧血みたいになってしまった。子どもを産むって命がけなんだと心が震えたし、こうやって命を授かることに感動もした。でも正直に言うと、あれほど苦しんで産んだのに、その後、けろっとしている妻が怖かった。いや、もちろんけろっとしているわけではなくて肉体的にはしんどかったと思います。でも産まれてすぐ“ふたりの子の母親”として、上の子にも気を遣いながら下の子を見つめているのが、とにかくすごい。僕なんか絶対に太刀打ちできない。女性という性に対する敬意と同時に、畏怖というんでしょうか、そういうものを感じてしまったんです」

 ふたりの子の母となった沙代さんは「女帝」のように感じられた。自分は彼女のしもべみたいなものだ。そう思いながら、一方で妻のなにげない振る舞いに「傲慢さ」を感じるようにもなっていった。

「以前だったら、僕が彼女のために何かしたら『ありがとう』とニコッと笑ったのに、子どもがふたりになると、僕がやろうとしていることを先回りして指示する。たとえば彼女が子どもをお風呂に入れて僕が待ち受けていることがあったんです。『出るよー』と言われてバスタオルを持って待っていると、子どもを送り出しながら『ちゃんと全身拭いてよ』『耳の中も拭いてあげてよ』と言うわけ。そんなのわかってるよ、いつもちゃんとやってるだろと思わず言うと、『いちいち口答えしない!』と怒られるわけです。しかも下の子がぐずったりしていると、『まだなの?』といいながら上の子を出してしまう。トロいと言われたこともあります」

 ただ、妻はそういうことをいっさい覚えていない。3歳違いの子どもがいたら、幼いときは親も冷静ではいられないことも多々あるだろう。

「それにしてもあの頃の妻はひどかった。忙しいだろうからと食事を作っても、『子どもを寝かせるまでに食べ終わらなければ意味がない。あなたはやることが遅すぎる』と怒りだして、温かいうちに食べてくれない。ひとりで食べるのも悪いと思って待っていると、『さっさと食べればいいのに』と言われる。自分が無能だと思わされる感じ。もうちょっと感じよく言えないのと抵抗したこともありますが、『時短とはいえ、私だって働いてるのよ』って。そういうときの妻は本当に頭から角が出ているんじゃないかと思えてならなかった」

 妻への性的関心などなくなりましたよと彼は言った。もちろん、性的欲求もなくなっていた。妻に対しては。

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