「うちの弁当はイベントや集まりでお使いになるのは危険です…」 創業170年「日本橋弁松」の社長が語る“メッセージの真意”
170年守り続けた「濃ゆい味」
「弊社の弁当は、たいへん甘辛く、濃ゆい味なので、好き嫌いがはっきり分かれるんです。特に最近は薄味が人気なので、濃すぎるとお感じになる方が多いようです。しかし、これが創業以来の弁松の味なので、変えることはできないんです」
たしかに、「めかじきの照焼」に沁み込んだタレの濃い甘辛さ、端に鎮座する「しょうがと昆布の辛煮」の強烈な辛味、「豆きんとん」の徹底的な甘さなど、どれもいまの時代には珍しいかもしれない。
余談だが、樋口社長が口にした「濃ゆい」とは、弁松ならではの独特な言い方。
「特に江戸弁ではなく、九州の方言らしいのですが、語呂がいいので弊社ではむかしから“濃ゆい味”と言っています」
「弁松」の弁当は、日本橋の本店のほか、百貨店に出店している直営店(日本橋三越本店、銀座三越、伊勢丹新宿店、大丸東京店の4店)、および首都圏の百貨店や大手スーパーで販売されている。
「製造数は、1日に1,000個弱がベースです。そこに、イベントやお祭りなどの大口ご注文が加わると1,500個くらい。季節によっては、週末で2,000~3,000個ほどになることもあります」
その弁当だが、のべ20数名の職人・スタッフが交代でつくっている。工場は、江東区永代にあり、シフトの変動はあるものの、深夜0時半から1時半くらいの間にスタート。スムーズにいけば、朝の8時か9時に終了して、10時ころに帰宅となる。一方、今世間に出回る弁当は、いわゆるコンビニ弁当が中心で、だいたい前日の夕刻からつくり始め、深夜直前に完成させるところも多いらしい。
「それだと品質管理がむずかしくなる。弊社の弁当は、防腐剤や添加物を一切使っていないので、色も味もすぐに落ちてしまうんです。そこで、深夜につくって朝にできあがるようにしています」
そんな「弁松」だが、170年余の日々は激動の歴史でもあった。
1878(明治11)年、大久保利通が暗殺された5月14日、混乱する大久保邸に150人分の弁当を届けよとの緊急注文が入ったが、見事に応じたという。歴史的事件「紀尾井町事件」の夜食は、「弁松」が支えていたのである。
大正から昭和にかけては関東大震災や東京大空襲がつづき、店舗が崩壊して休業を余儀なくされてきたが、そのたびに乗り越えてきた。
だがやはり、近年のコロナ禍はこたえたという。
「2020年3月ころから花見や会合の自粛ムードとなり、急速に売り上げが落ち始めました。4~5月には百貨店が休業となって、決定打となりました」
だがそれでも「弁松」は、弁当をつくりつづけた。
「販売店がなくなったので、本店のほか、永代工場で直接販売しました。あのころは、永代橋まで100メートル以上の行列になるほど、多くのお客様に来ていただき、感激しました。いまではコロナ前の状態に戻りつつあります」
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