かつては猿に狙われたことも……創業150年「明治座」の食事はなぜ美味いのか

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著名人にも愛された伝統の味

 実は明治座は、むかしから「食」にこだわっていたフシがある。前出の竹田さんには、こんな思い出があるという。

「戦後に再建された明治座には、舞台の下――いわゆる“奈落”と呼ばれる地下に、役者や裏方さんのための屋台の食堂があって、おでんが食べられたと聞いたことがあります」

 どうやらむかしの明治座は舞台の下に屋台食堂があったらしい。人間国宝の中村梅玉丈もスポーツ紙の取材に、奈落で食べたそばの思い出を語っていた。そういえば岡本綺堂も、こんな思い出話を書いている。明治29(1896)年の話だ。

〈記憶に残っているのは、明治座の三月興行に菊五郎が「堀川」の与次郎でほん物の猿を使ったことであった。縫いぐるみの子役ではどうも面白くないというので、猿芝居の猿を借りて来たのであるが、それはやはり面白くなかった。観客が弁当などを食っているのを見ると、猿は与次郎の背中から飛び降りて土間へかけ込む、女客などは声をあげて立ち騒ぐという始末で、折角の工夫もさんざんの失敗に終ったのは気の毒であった〉(『明治劇談 ランプの下にて』岩波文庫版より)

 すでにこのころから、明治座の「弁当」は猿に狙われるほどうまかったのである。
※一部敬称略

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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