「池袋暴走事故」から4年、松永拓也さんが明かす「常に悲しみの淵にいる遺族像」との葛藤
遺族は常に悲しんでいなければいけないのか
この伏線とも言える出来事が、事故が発生した年の秋に起きた。
それは松永さんが、中学時代の同級生と一緒に池袋の祭りを見に行った時のことだ。事故から半年も経たず、心にまだ余裕はなかったが、「たまには楽しんだほうがいいよ」と誘われ、屋外で飲んでいた。その帰り際、近くにいた別の客からこう声を掛けられた。
「ひょっとして松永さんですか? 意外と元気ですね」
松永さんが回想する。
「友人とのお酒の席だったので、笑うこともあるじゃないですか。でもその言葉を聞いて、遺族って笑っちゃいけないのかなって。その人も悪気なく言ったのだと思うんですが、正直、気まずかったですね。そりゃ僕だって人間ですから、嫌なことが起きても忘れる瞬間はあります。一生忘れられない、1秒でも忘れられないっていう人もいるかもしれない。でも生きるって決めた以上、笑わないと生きていけないですよね?」
遺族は常に悲しんでいなければいけないのか……。
世間からのそうした視線に晒されると、遺族は否応なく苦しめられる。そもそも彼らは遺族である前に1人の人間だ。ゆえに笑ったり、酒を飲んだりすることもあるだろう。だが、世間が抱く「遺族像」の前に阻まれ、それが生きづらさにもつながる。一方で松永さんは葛藤も抱えていた。それは取材時にカメラの前で、常に悲しい表情をしていたからだ。
「カメラを向けられた時には笑わなかったんです。それは交通事故の悲惨さや現実を知って欲しかったからです。目的があると自然と涙が出てくる。でもそれでいいのかな、という思いも同時にありました。なぜなら辛い表情を見せることで、遺族は常に悲しみの淵にいるのではないか、という色眼鏡をより濃くさせてしまうからです」
鹿に餌をあげたり、WBCの観戦といった前向きな話題を投稿することで、松永さんは、これまで自分が作ってきた「遺族像」に少しでも変化をもたらそうとしたのだ。
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