「池袋暴走事故」から4年、松永拓也さんが明かす「常に悲しみの淵にいる遺族像」との葛藤

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心の皺を少しずつ伸ばしていく作業

 事故から1年目の命日は、現場で手を合わせると涙が溢れ出てきた。1週間、気分が沈みっぱなしで何もやる気が起きなくなった。それまで悲しい気持ちに蓋をし、空元気で生きてきた自分に気づいた。

「発生からの1年は、悲しいけど大丈夫、自分は元気だって奮い立たせ、無理やり生きてきました。でも、自分の気持ちに嘘をついていたんですよね。その皺寄せが、1年目の命日に一気に跳ね返ってきたんです」

 悲しい時は悲しいままでいい。

 そう思えるようになった松永さんは、悲しみや苦しみを少しずつ生きる力に変え、被害者支援や交通事故を減らすための活動などに専念することで心の安定を保ってきた。それでもやはり浮き沈みはある。だが、それも3年、4年と月日が経つにつれ、ある程度コントロールできるようになってきたという。

「死別からの回復と言っても、乗り越えられないんです。もっと言えば、乗り越えるものじゃない。なぜなら過去は変えられないし、亡くなった命は戻らないから。事故でぐちゃぐちゃになった心の皺(しわ)を少しずつ伸ばしていくような作業が心の回復で、時間とともにうまく付き合えるようになってきたのかなと思います」

<妻と娘の分も生きています>

 それを象徴するのが、Twitterへの松永さんの投稿だ。

 昨年12月上旬、松永さんは奈良県で講演をした。帰りに立ち寄った奈良公園で、鹿に鹿せんべいをあげた。その様子を撮影してもらった動画をTwitterにアップし、こうつぶやいた。

<妻と娘が亡くなり、人生でどん底の時も味わった。(中略)でも、こうやって楽しいこともある。妻と娘の分も生きています>

 松永さんが2020年1月にアカウントを開設してから初めて、自身の姿を「楽しい」と表現した投稿だった。今年3月上旬には、東京ドームで開かれたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対オーストラリアの観戦模様も写真とともに投稿し、<凄く楽しい時間でした>と素直な感想をつぶやいた。

「あの2つの投稿はめちゃくちゃ怖かったです。普段はあんなに辛そうにしているのに、意外と楽しそうにしているじゃないか、みたいなことを言われるのかなと思いました。でも心配し過ぎでした。楽しいと思える瞬間があるのを知れて良かったです、というコメントをたくさん頂きましたので」

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