暴言、過酷な労働環境に一方的な「クビ宣告」… 歴代総理も通う超名門料亭「金田中」料理長がブラック体質を告発
コロナ禍を経ても「料亭政治」が廃れることはない。重要な政策や人事が、しばしば夜の宴席で決められてきたのは歴史が示す通りだが、そんな“文化”を支えてきた老舗に激震が走っている。何とグループの料理長が、3代目経営者を告発する事態に至っているのだ。
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大正時代に東京・新橋の花街で創業した「金田中(かねたなか)」は、「新喜楽」「吉兆」とともに“日本三大料亭”と称される老舗である。
その歴史は「田中屋」という店の仲居頭だった金子とらがのれん分けを許されたことに端を発する。戦後間もなく、包丁一本の板前から身を興した岡副(おかぞえ)鉄雄がこれを買い取り、名声を築き上げてきた。新橋演舞場の新設者としても知られた初代の跡を継いだ2代目・昭吾氏も2014年に亡くなり、現在は3代目の真吾氏(61)が看板を守っている。
「コロナ禍もあって政治家が料亭へ出入りする機会も減りましたが、それでも“密談”は行われています。岸田総理も就任以来、財界人との会食や裏千家の例会など、数回にわたって『金田中』に足を運んできました」(全国紙デスク)
「社長のあまりの仕打ちにあきれ果て…」
まさに名門健在といったところだが、そんな中、耳を疑うような話が飛び込んできた――。金田中グループは、本店である「新ばし 金田中」のほか「金田中 庵」「銀座 岡半」「茶洒 金田中」を運営しているのだが、
「岡副真吾社長のあまりの仕打ちにあきれ果て、3月末で料理長を辞めました」
そう吐露するのは、先月下旬まで「銀座 岡半」で料理長に就いていた50代男性。仮に山田氏としておくが、一体、名店で何が起きているというのか。
「私は『瀬里奈』『うかい亭』などを経て16年9月、金田中に入りました。これまでの職場と同じように、給料はともかくきちんと休みを頂ける店で働きたいと考え、飲食業向けの求人サイトを見て応募したのです」
募集要項には「休日は月に8~10日」とあったというのだが、
「入社後から『岡半』の副料理長を任され、当初はある程度、休みも取れていました。ところが私と同じ時期に入社した料理長が、その年いっぱいで辞めてしまったのです。そのため17年以降は私が料理長となり、店の休業日である日曜・祝日以外はほとんど休めなくなってしまいました」(同)
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