衝撃引退から40年で振り返る「初代タイガーマスク」猛虎伝説 佐山サトルが語ったダイビング・ヘッドバットの極意
「客に、食い物を口に持って行かせない試合をしろ」
熟思したいのが、引退する83年8月までのシングル戦の戦績だ。155勝9分1反則負け(※vsダイナマイト・キッド)。ほぼ勝っている。これは、従来のプロレスの文脈からすれば異例のことだ。負けを喫し、そこから立ち上がる姿がドラマを見せ、並びに観客の目を吸い寄せて行くのがプロレスの魅力でもある。「次はどうなるだろう?」と。
ところが、タイガーは負けなかった。数字から観ても、「勝つのが当然」と思われていたフシがある。客や視聴者は、タイガーの勝つ姿を観たかったのだろうか。それもあろう。だが、それだけで未曾有の人気は2年も続かぬ筈だ。となれば、理由は一つしかない。冒頭の羽田空港のエピソード宜しく、タイガーの試合そのものを観たかったのだ。かつてインタビューした、テレビ朝日関係者の述懐が甦る。
「今、凄い空中殺法を使う人は、何人もいますね。でも、彼らとタイガーのそれには、明確な違いがある。タイガーの空中技は、“やる前に反動をつけない”んです。突然来る。ローリング・ソバットについてもね。だからカメラマン泣かせなんだけど、同時に凄く、テレビ向きだったんですね。次に何が起こるかわからないわけですから」
佐山はよく、猪木にこう言い含められていたという。
「客に、食い物を口に持って行かせない試合をしろ」
加えて、2015年5月、筆者が佐山本人をインタビューした時だ。筆者は一種の感激とともに聞いた。
「相手をマットに寝かせて、でも、そこから一番遠い位置のコーナーポストに登って、ダイビング・ヘッドバットをする。飛距離がもの凄くて……。それはやっぱり、プロの矜持だったりしますか?」
「そうじゃないですね」と佐山は答え、明確にその理由を述べた。
「近い位置で飛ぶと、ヒザを曲げなきゃいけなくなる。そうすると着地時にヒザを痛めることになりますから。ヒザを伸ばし切るには、遠い方が良いんですね」
そして誇らしげに続けた。
「タイガーの動きは、全て格闘技の理に適った動きなのです」
一例として、ラウンディング・ボディプレスがある。武藤敬司や小橋建太が使うムーンサルト・プレスと同形だが、タイガーの場合、やや斜めに入る。動画を観ればわかるが、相手の位置を横目で確認しながらおこなっていたのだ。真後ろに回転する武藤や小橋のそれの方が、様式美としては上かも知れない。だが、タイガーの方が、命中率、及び与えるダメージは大きい。また、かわされた時の対処も手早く出来るのだった。
2002年、録画用DVDディスクのCMで、「(タイガーへの)あの頃の憧れを胸に、これからも闘い続けます」と言った出演者がいた。それは、“最強”を謳い続けたグレイシー一族に勝利し、“ファンタジスタ(想像を超えるパフォーマンスを見せる者)”の異名もとった、桜庭和志だった。
タイガーは83年8月10日、新日本プロレスとの契約を自ら破棄する形で引退。素顔を明かせぬ人気者ゆえ、なかなか結婚出来ず、その結婚式も極秘裏に予定され、挙げ句、知己の人間を呼べなかったというのが主因だというのも、義と和を重んじる佐山らしい。ただ、その直前、ライバルであり、盟友でもある小林邦昭に告げた言葉も、引退する本音に近いと思う。
「もう、疲れてしまった……」
翌年1月18日には、テレビ朝日系の人気バラエティ「欽ちゃんのどこまでやるの!」で素顔を公開。その後は理想の格闘技を求め、そして出だしにあるよう、プロレスの世界に戻って来てくれた。素顔でいても、見知らぬ人に話しかけられることが多々あるという。「佐山さんですよね。初代タイガーマスク。やっと会えた……」それは、初代タイガーの全盛期とともに幼少期を過ごした、アラフィフ以上の大人たちだという。
引退しても、素顔になっても、その煌めきは、消えることはない。それはきっと、永遠に。
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