誠実な好青年「浅井長政」はどうして義兄、信長を裏切ったのか

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家臣として扱われるのがイヤで

 一方、長政は信長を許せなくなったのだ、という解釈もある。たとえば、織田信長が永禄あらため元亀元年(1570)7月10日に、毛利元就に宛てた覚書が『毛利家文書』に収められ、そこには「近年別て家来せしむるの条、深重隔心無く候き、不慮の趣是非無き題目に候事」と書かれている。

 すなわち、近年は浅井も自分の家来になって、心の隔たりなく付き合ってきたのに、思いがけず理不尽な結果になってしまった、というのだ。この覚書の記録から太田浩司氏は、長政は独立した大名なのに、信長の家臣として扱われるのが許せなかったのだと見て、「浅井氏は一信長家臣となることを拒むために、挙兵したと考えるべきだろう」と記す(『浅井長政と姉川合戦』)。

 だが、そうだとしてもやはり、「自身の地域『国家』存立に努めることが求められた戦国時代の大名や国衆らの持つ性質」から「選択された結果である」ことに変わりはない。

 ドラマでは往々にして、義理人情や情緒的な理由が介在するように描かれがちだが、仮にも戦国の世である。自分の判断ひとつで、自身の家も家臣も簡単に滅亡してしまう状況下では、判断に情緒が介在する余地などなかったことは強調しておきたい。

できすぎた逸話は避けたものの

 ところで、長政が逆心を決意したのち、妻の市が実兄の信長に、両端を縄でくくったあずき袋を送ったという逸話がある。信長はしばらくそれを手に取って眺めてから気づいたという。長政が信長を裏切ったため退路が断たれ、信長軍は袋のなかのあずき同様だというメッセージを、妹は届けてきたのだと。信長は急いで将たちを集め、京に引き返すことを命じた――。

 この話は『朝倉家記』にしか書かれておらず、できすぎた逸話でもあるので、史実とは認定されていない。だから『どうする家康』でも、市があずき袋を送るという設定にはなっていないようだ。

 しかし、第13話には「阿月」という名の市の侍女 が登場。第14話では、彼女が市の命を受け、信長に長政の逆心を伝えるために命がけで走るという。あずき袋を送らない代わりに、人間あずきを送る。史実とは思われない逸話をドラマに盛り込まない代わりに、できすぎの逸話よりもウソ臭い話が採用されてしまった、と感じるのは私だけだろうか。

香原斗志(かはら・とし)
歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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