誠実な好青年「浅井長政」はどうして義兄、信長を裏切ったのか

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 弁舌さわやかで紳士的な物腰、そしてイケメン。NHK大河ドラマ『どうする家康』の第13話、「家康、都へゆく」にはじめて登場した浅井長政が話題を呼んでいる。

 上洛した徳川家康の家臣たちが浅井の家臣たちとケンカをし、浅井の家臣が大けがをしたのが織田信長にバレて家康が戦々恐々としている と、大貫勇輔扮する浅井長政が信長の前で「戦い方をご指南いただき、まことにためになったと感服しておりました」と、機転の利いた助け舟を出す。

 まじめで誠実な好青年。信長の妹である市を正妻にし、信長の信頼が厚かった北近江(滋賀県北部)の若き武将は(このときまだ25歳である)、直後に越前国(福井県)の朝倉義景と組んで信長に反旗を翻す。

 こうして誠実な好青年ぶりを強調することで、義兄への裏切りはよほど真剣に悩んだ末の決断だったのだろう――と視聴者に想像させ、歴史ドラマに奥行きをあたえる。そういう描き方はそれ自体、悪くない。

 しかし、長政のルックスに関して、気になる点もあった。

太って月代を大きく剃っている

 残されている長政の複数の肖像画はいずれも、座っていてもかなり恰幅がいいのがわかり、顔もほおが丸く、あごは二重になっている。若いのにかなり太っていたと想像され、スリムな大貫勇輔とはずいぶん違う。

 しかし、それよりも気になるのは、いずれの肖像画でも長政は、月代(前頭部から頭頂部まで髪を剃り上げた部分)を大きく剃り上げていることである。

 月代は武士が台頭した平安時代末期から文書に見える。戦で兜をかぶったとき、頭髪があると蒸れて、ときにのぼせてしまう。それを防ぐために編み出されたのが月代で、ふだんは総髪にしている武士が戦に際して剃るものだったが、戦国時代に戦が日常化すると、日ごろから月代を剃っている武将や武士が多くなったようだ。

 ところが、『どうする家康』では浅井長政にかぎらず、少なくとも第13話までは、登場する人がだれひとりとして月代を剃っていない。その意図はわからないが、月代を剃っている人が皆無というのは、この時代を描くうえで不自然にすぎる。

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