瀕死の重傷の後に覚醒 ベン・ホーガンはなぜ史上最高のゴルファーになれた?(小林信也)
「彼は乗り切るさ」
ボブ・トーマス著『ベン・ホーガンのゴルフ人生』には、病院にかかってきた一本の電話の会話が記録されている。
〈「こんな夜遅くに電話をしてすまないな。バル」
「まあ、ボブ」。彼女は、自分の直面している恐怖を本当にわかってくれる人の声を聞いて涙ぐんだ。相手は、ボビー・ジョーンズだった。
「ベンは両脚をひどく骨折しているんです。11本の骨が折れて、もう2度も手術をしているんです」(中略)
「それじゃ、ニュースは本当だったんだね」。ジョーンズは、あきらめの溜め息をついた。(中略)
「君のほうはどうなんだ、バル。怪我がひどいんではないのかい」
「お陰様で、軽い打撲傷と打ち身だけですみました。ベンが自分を犠牲にして、身を乗り出して私をかばってくれたんです」〉
二度とゴルフはできない、どうやってその事実を夫に伝えたらいいのか苦悩する妻バレリーに、球聖と呼ばれたジョーンズはこう言った。
「彼は乗り切るさ。私にはわかるんだ。これは、彼の偉大さを証明するための試練なのさ。そうだよ」
ジョーンズの言葉はまるで神の予言にも聞こえたが、苦しむ夫を見守る妻にとっては遠い慰めにすぎなかった。ただ、ジョーンズがまだ無名時代からホーガンにとって希望の光であったことも事実だ。
ホーガンが初めてマスターズに招待されたのは38年、25歳の春だった。まだ無名で実績もない自分がなぜジョーンズの目に留まったのか、ホーガンは理解できなかった。オーガスタに向かう道中、ずっと重圧に押し潰されそうだった。
コースに着いて、孤独の中で練習を始めるとどこからか熱い視線を感じた。そして、思いがけず歓迎の声をかけられた。その人こそジョーンズだった。
初対面で「ボブと呼んでくれ」と球聖に言われたことが、劣等感のかたまりだったホーガンに自信と希望を与えた。その日から、ジョーンズが自分を見ているという誇りを胸にラウンドを続けてきたのだ。天才は天才を知る。ゴルフの歴史はそうやって育まれてきた……。
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