雅子皇后の外務省同期が長野県の村長選に出馬 「皇后陛下は深夜でもスーツ姿でお化粧も整えていた」

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小和田の「オワ」

 シンガポール大使館勤務を経て本省に戻った野崎氏は、経済局で主にEUを、雅子さまは北米をそれぞれ担当していたという。

「女性職員の数が少なく同期の結束は固かった。省内は苗字で呼び合う文化があって、皇后陛下は小和田の『オワ』、私はそのまま『ノザキ』と呼ばれていましたが、“オワ、頑張ろうね”などと励まし合っていました。ご成婚のあと開かれた送別会で一緒に撮った写真は、今でも大切に持っています」(同)

 退官後、野崎氏は投資銀行に勤務し、10年ほど前にスキー好きの夫と小谷村へ移住。築170年の古民家を改築して我が家としたことをきっかけに、村おこし事業へ携わり地元に根を下ろしてきた。

「村内に点在する古民家を日本文化の象徴として活用し、観光資源にしたいと役場に提案して旗振り役を務めてきました。数年前、そうした私の活動を知った皇后陛下が“応援しています”と仰っていたと人づてに聞き、うれしくなりました。村民の方々からも日頃の活動が評価され、立候補するに至った。即位後は皇后陛下に連絡を取ることははばかられ、久しくお会いしていませんが、『オワ』は国や国民のために尽力され、私は大好きな村のため、村民のために立候補する。公に尽くすという志は、公務員だった頃から変わらないと思っています」(同)

 苦楽を共にしてきた二人が、再び顔を合わせる日はやってくるだろうか。

週刊新潮 2023年4月13日号掲載

ワイド特集「激流の彼方に」より

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