石川テレビと対立する馳浩知事の言動はプロレスなのか 思い出す山田邦子にマジ切れした過去

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プロレスをバカにされると一切、引かない

 谷本前知事は在任中、定例会見を開くことはなかった。馳知事は「定例会見開催」を公約の一つに掲げて当選しているだけに、石川テレビ1社との問題を理由に記者会見を開かない馳知事に対し、厳しい論調の記事が出ることになる。

「肖像権の問題にしても、公務中の知事や公務員の映像ならば、肖像権の侵害は認められないのでは、という意見が圧倒的で、どうにも馳知事には分が悪いというか、無理筋な主張とも思えます。しかし、政治的立場を利用して報道に圧力をかけることは看過できないとばかり、朝日新聞も記事だけでなく、社説でもこの件を取り上げました。結果として全国紙も注目する事態となり、石川県と馳知事への関心も高まりました」(同)

 ネットでも「馳知事お得意の“プロレス”だろう」「元プロレスラーだけに見事なやり方」などといった書き込みが散見された。だが、場合によっては馳知事が「返り血」を浴びかねない今回の石川テレビとのバトル。果たして、馳知事は今後どうするつもりなのか。

「いや、逆境こそ最大のチャンスととらえるでしょう。馳知事の体には、プロレスラーとしての誇りとプライドが染みついていますからね」

 というのはベテランプロレス記者。プロレスラー時代の馳知事は、若手の頃からプロレスをバカにするような言動に対して一切引かない“シュート”モードを貫いていたという。

「有名なのは1987年、テレビ朝日で放送していた『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』でのマジ切れ事件でしょうか。視聴率が低迷していたことから、バラエティ風に衣替えした番組に出演した馳は、司会の山田邦子から『血なんかすぐ止まるものなんですか?』と聞かれ、『つまんないこと聞くなよ。止まるわけないだろ!』とマジ切れしてしまい、スタジオを凍り付かせました。後に、試合会場で山田とは和解していましたが」

 また1990年6月、「人生バックドロップ」の異名を持った後藤達俊との試合で、後藤得意の殺人バックドロップを食らった馳知事は試合後に昏倒、心肺停止状態になり、あやうく一命をとりとめたこともある。

「奇跡の生還を果たし、その後もリングに上がり続けたことも、馳が『死ぬまでプロレスラー』としての原理主義的な思いを強くしたのではないでしょうか。また、“政治の師匠”は放言で知られ、プロレス会場にもよく姿を見せる森喜朗元首相。そして“プロレスの師匠”は大学の先輩でもあり、マスコミに容赦なくキレる『革命戦士』長州力という“DNA”も、テレビ局や世間への譲らない姿勢の背景にあるのではないでしょうか」(同)

 果たして、決着はどうなるか。

デイリー新潮編集部

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