「中国軍が来たら投降する」台湾“最前線の島”のリアル 一方で民間の軍事セミナーが活況
最前線の島を訪れると…
49年以降、中国共産党が大陸で急速に支持を広げる中、蒋介石率いる中華民国は、台湾へ遷都した。その際、撤退する中華民国軍が辛うじて確保した大陸沿岸部の離島は、次々と要塞化されていった。中でも金門と馬祖は、その後も中台間の激しい戦闘の舞台となったのである。
そういった島々では、大都会・台北よりも危機感を強めているかもしれない。そこで昨年12月、まずは福建省厦門の6キロ沖合に浮かぶ金門島を訪れた。
台北・松山(しょうざん)空港から金門空港までは、飛行機で1時間足らず。わずか幅200キロほどしかない台湾海峡の狭さを、改めて感じる。
島全体が福建省金門県に属するが、福建省の大部分は中国の支配下にある。県の人口は約14万人。49年10月に中共からの総攻撃を受けた金門島は、それを退けたことで台湾の主権を象徴する地となった。58年にも中共の攻撃を撃退。島内には当時の勝利の記念碑や、「民族救星(救世主)」と刻まれた蒋介石の銅像がそびえ立っている。
「中国と仲良くやっていきたい」
さっそく島民たちに聞き込みを始めると、むしろ台北市内よりもずっと「中国と仲良くやっていきたい」という声が多かった。その理由は、圧倒的な数の中国人観光客がもたらす経済的利益だ。県の観光処の統計では、コロナ前の2019年までの中国人来訪者は年間延べ50万人前後。台湾本島からの来訪者数を大きく上回る数字だ。
島の特産品は、かつて人民解放軍が島内に撃ち込んだ無数の砲弾から鍛造された包丁や、高粱(コーリャン)酒など。その他、中国本土では手に入りにくい日本製や台湾製の常備薬やサプリ、衛生用品などが飛ぶように売れるという。島内には巨大な免税デパートが立ち、中国人がブランド品を買いあさる光景が島の日常だった。それがコロナ禍によって大陸からの客が途絶え、多くの島民は、今か今かと中国人の旅行解禁を待ちわびている、というのが実態であった。
台北に戻ってから、金門県選出の立法委員(日本の国会議員に当たる)の陳玉珍女史(49)に面会を申し込んだ。国民党所属で、金門島で生まれ育った彼女は、開口一番、中国との交流に消極的な現・蔡英文政権への不満を語った。
「中国側からは、“厦門-金門間にいつ橋を架けても構わない”というメッセージがきているのに、与党の民進党が渋っているので、遅々として進まないのです」
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