原監督、巨人76年ぶり“途中退任”の現実味 坂本優遇で若手萎縮…求心力に「もう限界」の声
帽子たたき付けた2003年を彷彿
このDeNA戦で原監督がベンチを叩いた姿には、第1次政権時代のあるシーンが重なる。2003年の阪神戦、“星野阪神”の独走を許していた状況下で、原監督は自軍の内野選手のふがいない失策にベンチで帽子をたたき付け、怒りをぶつけたのだった。
同年途中に就任した三山秀昭球団代表との確執などから原監督はこの年限りでの辞任を決意した。このシーズンは最後まで指揮を執ったものの3年契約3年目を全うせず、当時の渡邉恒雄オーナーが「読売グループ内の人事異動」と表現した退任に至った。
奇しくも今季は3年契約の2年目。ベンチで激昂するところに因縁を感じずにはいられない。
確かに今季は03年と状況は同じではない。昨オフは「底に近い状態。選手を入れ替えている時期、過渡期を迎えている」と位置付けながらもFAを軸とした大型補強には恵まれなかった。選手としては峠を過ぎた松田、長野久義の獲得、オコエ瑠偉の現役ドラフトでの指名が話題を呼んだぐらいだった。
巨人では“三冠王監督”以来の汚点
原監督の復帰の経緯を振り返っても、一度も優勝できなかった高橋由伸前監督の後任として三顧の礼で迎えられている。編成権を含めた全権を手中にし、後継監督を育成するキングメーカーの役目まで託された。03年と異なり、フロントに対し、原監督は圧倒的に優位に立ち、読売本社が簡単には引導を渡せない状況ではあるのだが……。
「自らが辞任を申し出てくれば話は違ってくる。今年、3年連続で優勝を逃せば進退問題は必至。これまでのようにコーチに詰め腹を切らせるだけでは済まされないことを原監督も自覚していると思う。仮に続投したとしても来季の補強の見通しが立たなければ勝算はなく、晩節を汚すだけになるわけだから」(元NPB球団社長)
巨人では監督休養の例がなく、「NPB史上初の三冠王」として知られる中島治康選手兼任監督が1947年、6月に成績不振(10勝19敗)により事実上、解任されて以来、シーズン途中で監督交代したケースもない。近年では成績不振で途中解任が取り沙汰された堀内恒夫監督、高橋監督もシーズンを全うした。また、旧監督と新監督、2人が同席しての“禅譲”会見はNPBきっての名門球団の権威が醸し出されてもいた。途中で投げ出してしまえば、球団史に汚点を残すことになりかねない。
原監督は03年の退任会見で「巨人の監督とは?」と問われ、こう答えている。
「勝つということが全て」
ONの後に4番を務めた現役時代から、それを果たせなかった時の身の処し方は誰より理解している。4月11日からは東京ドームで岡田彰布新監督が率いる好調阪神との3連戦に臨む。
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