紀里谷和明監督「非常に偏った人間になっちゃったのも事実」 最新作が“最後の作品”になるまでの苦悩

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

いじめ、就職氷河期…作中に散りばめた社会問題

 監督が思いをつぎ込んだ主人公ハナ。親を亡くしたハナは、貧困を理由にクラスでいじめを受けている。目立ちたくない、平穏に生きたいと願うハナは、その意思とは逆に地球存続の使命を負い、メディアに注目される。それがますますいじめを激化させる。世界の運命が少女に託されたことを面白く思わない人々が、ハナを攻撃し始めたからだ。

 紀里谷監督はいじめを「犯罪だ」と言い切る。

「映画のなかに、ハナを護衛する政府の特別機関が登場します。エージェントの佐伯(朝比奈彩)は、ハナの心身に暴力をふるうクラスメイトに拳銃を向ける。このシーンはいじめに対する劇画的な解決方法を示したわけではなく、いじめとはこうでもしなければ解決できない犯罪なのだという意味です。

 いじめという言い方は変えるべき。いじめを隠蔽することも、告発しないのも共犯者隠蔽、犯人蔵匿及び証拠隠滅という犯罪です。内閣府の調査では、15歳~39歳では約54万人いるといわれる引きこもりの数。そんな状況なのに、子どものSOSを聞く人がいないなんて、そりゃあ絶望しますよ」

 もう一人登場するエージェントの江崎(毎熊克哉)も見返りを求めず、親のように無条件にハナを守る。紀里谷監督には、彼らについての裏設定がある。彼らもまた貧しく悲惨な子ども時代を過ごし、それゆえ生きる選択肢が特別機関にしか得られなかった犠牲者なのだという。

「もう忘れられかけていますが、就職氷河期を経験した若者たちをイメージしています。正規の職に就けず厳しい生活を強いられている人は、若者だけでなくあらゆる世代にいるわけですが。江崎と佐伯もそんな一人。でも任務ではあるもののハナを命がけで守ろうとするのには、彼女の存在に心を動かされ、関係性が変化したという事情もあるわけですが」

最初の頃は「国益を考えていた」

 紀里谷監督の映画は、基本的にダーティヒーローものだ。そしてヴィラン(悪役)ものでもある。ヴィランは主人公と同程度の存在感を持ち、悪事を犯す背景を背負う。そうなると作品は分かりやすい勧善懲悪とはならず、瞬発的な理解やエモーションは得づらい。

「CASSHERN」が公開当時、ヒーローものであったアニメ「新造人間キャシャーン」のファンからソッポを向かれたのも分かる。公開から19年が経過し、内容のリアルさが増した「CASSHERN」は、いま見るべき作品となっており、面白い。エゴむき出しのメインキャラクターらも魅力的だと感じる。

 短編集「MIRRORLIAR FILMS Season2」、「MIRRORLIAR FILMS Season3」(ともに2022年)のそれぞれ一編を対象から外すと、紀里谷映画の企画の開発には5年以上の時間がかかっている。その理由を聞くと、最初の頃は「国益を考えていた」からだと紀里谷監督はいう。

「『CASSHERN』、『GOEMON』のあたりは、作家的な主張以上に国益を考えていたんですよ。日本はコミックやアニメというオリジナルIP(知的財産)の宝庫。なのに、むざむざ海外に売ってしまう。なぜ国内で映画化しないのか? という気持ちがありました。それこそが国益につながるといろいろプレゼンしましたが、『日本映画には予算がない』とうまくいきませんでした。でもそこで止まっていたらダメなんですよ」

 コミックの映画化でIPビジネスを成功させたのは、ハリウッドの製作会社レジェンダリーピクチャーズだ。ワーナー・ブラザースと組んで「バットマン ビギンズ」(2005年)などのDCコミックス作品を映画化し、大ヒットさせた。2014年には日本のIPである「GODZILLA ゴジラ」を製作して、損益分岐点を大きく上回る5億2900万ドルの収益をあげている(世界配給はワーナー・ブラザース)。

「当時でもグリーンバックを使えば、そこまで予算がなくてもハリウッドに勝てるものを作れる自信が僕にはあった。『traveling』や『SAKURAドロップス』(ともに宇多田ヒカル)などのミュージックビデオを見てもらえば分かると思います。あの10年以内に日本が行動していたら、全然違っていたと思います」

「世界の終わりから」をもって映画製作から離れる紀里谷監督だが、今でも日本映画の撮影現場の状況やマーケットにさまざまな思いを持つ。

「岩井俊二監督は米国在住時代からの先輩ですし、庵野秀明監督と樋口真嗣監督とは『CASSHERN』の頃からの友人だと思っています。若手も含め、横の繋がりは大切にしようと思っています」

 藤井直人監督や「Winny」の松本優作監督などの新世代の監督たちにも「新しいものを創り出してくれそうな気がする」とエールを送る。

 デビュー戦から変化球を使わず、直球ストレートで勝負を続けてきた紀里谷和明監督。まごうことなく彼も新しい世界を切り開いた一人だ。「世界の終わりから」では、そんな彼なりの戦い方に変化が訪れたように感じられた。次は何を見せてくれるのか? そういう思いが湧くのは当然のなりゆきだ。私からは紀里谷監督自身にエールを送ろうと思う。

関口裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ライター、編集者。1990年、株式会社キネマ旬報社に入社。00年、取締役編集長に就任。07年からは、米エンタテインメント業界紙「VARIETY」の日本版編集長に就任。19年からはフリーに。主に映画関係の編集と、評論、コラム、インタビュー、記事を執筆。趣味は、落語、歌舞伎、江戸文化。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。