【どうする家康】歴史上の足利義昭は古田新太のようなバカ殿ではない…信長との“本当の関係”は?

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自立した権力者だった

 ドラマで家康が義昭に謁見した場面は、永禄13年(1570)3月。その翌月から、信長は家康も巻き込んで越前国の朝倉、反旗を翻した近江国の浅井と戦う。その後、3年あまりを経て両者を滅ぼすものの、一時は信長もかなり危機的な状況に追い込まれた。

 そんなとき、たとえば元亀元年(1570)12月、義昭の仲介で信長と朝倉義景はいったん和睦している。

 じつは信長の朝倉および浅井との戦いは、義昭の意を受けての戦いだった。だから、義昭は朝倉、浅井とは対立する立場なのに、彼らに言うことを聞かせることができた。それは義昭が傀儡などではなく、権威をまとった自立した権力者だったからである。

 たとえフィクションでも、そうした歴史の大筋は踏まえてドラマを制作してほしい。少なくとも、史実への誤解を助長すべきではない。筋書きにメリハリをつけることを優先し、あたらしい学説などは一切無視するなら、「大河ドラマ」は「大害ドラマ」になってしまう。

香原斗志(かはら・とし)
歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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