「校長室を占拠する日に遅刻」「戦メリ音楽誕生の秘話」 坂本龍一さんの素顔を部活の先輩らが明かす

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校長室占拠の当日に遅刻

 塩崎氏には忘れがたい思い出がある。全共闘運動がピークに達した69年秋のことだ。ともに高校3年生で、

「私は生徒会長だった。制服、制帽の着用や試験の見直しを訴えて、坂本たちと一緒に、下級生を含めて数十人で校長室を占拠した。ストライキを行ったんだ。ただ、坂本は占拠の当日、遅刻したんだよ。理由を聞いたら、“母親が起こしてくれなかったから”って」

 そんな自由な時代の空気を吸いながら、さして苦労もせず、難関の東京芸大音楽学部作曲科に進学。修士課程を卒(お)えると、本格的にプロの音楽家の道に進んだ。

 細野晴臣氏(75)、高橋幸宏氏(享年70)らと「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を78年に結成。そのテクノポップは世界にセンセーションを巻き起こしたのである。

「戦メリ」の秘密

 さらに83年には大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に出演。また、この作品で初めて映画音楽も担当したのだが、そこにはある「秘密」があった。

 坂本さんに生前、何度もインタビューした経験のあるライターの神舘(こうだて)和典氏が言う。

「坂本さんは『戦メリ』をラッシュ(未編集の状態の映像)で観て、共演者のデヴィッド・ボウイの演技と比べ、自分の演技の未熟さに驚愕したそうです。そこで、出演場面に足りないものをご自身が作曲した音楽で補おうとされて、ご自分の登場シーンには、できるだけ音楽を乗せるようにしたとも仰っていました」

 この際に、映画音楽が持つ力を学んだのだろう。

「戦メリ」から4年後、「ラストエンペラー」で日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞するに至るのである。

 その後も、さまざまな音楽活動に加えて、反原発など環境保護の社会活動にも力を注いできたのだが、2年前に直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公表していた。享年71。音楽家の肉体は失われても、遺した音楽はこの世という“戦場”で永遠に流れ続けることだろう。

週刊新潮 2023年4月13日号掲載

ワイド特集「激流の彼方に」より

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