「校長室を占拠する日に遅刻」「戦メリ音楽誕生の秘話」 坂本龍一さんの素顔を部活の先輩らが明かす

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 小学生で作曲を習い始めた早熟な少年は高校時代、時代の空気に染まり、バリケード封鎖も経験する。20代で伝説の音楽グループを結成。世界に羽ばたくと、国際的な賞を受賞するに至った。先月28日に惜しまれつつ亡くなった天才音楽家の「原点」と「秘密」とは。

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 坂本龍一さんは1952年、東京・中野区に生まれた。父親は名物編集者で三島由紀夫などを担当していた。

 坂本さんがピアノの先生の勧めで、東京芸大教授に師事し、作曲を習い始めたのは小学校高学年の時である。

 音楽的センスを早くから見いだされた少年は中学生の時、ドビュッシーに大きな影響を受けている。叔父のレコードコレクションに「弦楽四重奏曲」を見つけたのがきっかけだった。

〈夢中になり、それからしばらくの間、自分はドビュッシーの生まれ変わりだと、半分本気で信じていたぐらい〉

 と、自伝『音楽は自由にする』(新潮社)にも記している。

「練習をサボりがちで手を焼いた」

 中学校では吹奏楽部に所属し、金管楽器のチューバを演奏した。その部活の部長が、後に“永田町の住人”となる人物だった。

「練習をサボりがちなあいつには手を焼いたよ」

 とは、第1次安倍内閣で官房長官を務めた塩崎恭久氏(72)、その人である。

「ただ、どこで練習をしたのか、発表日にはしっかり音を合わせてくる。まあ、生意気な後輩だったよね」

 塩崎氏と坂本さんの関係は中学卒業後、さらに密になる。二人とも同じ都立新宿高校に進学したのだ。

「私が米国留学のために1年休学した関係で、2年生で同じクラスになった。新宿のジャズ喫茶に二人で一緒によくたむろしてね。午前中はそうした場所に入り浸って、午後から学校に行くような毎日だった」

 才気煥発な若者たちの話題は多岐に及び、特に、

「評論家の吉本隆明について語り合った。あとは、まだ駆け出しだった蜷川幸雄の舞台も一緒に観に行ったよ」

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