坂本龍一さんが愛した「タケちゃんマン」と「鬼瓦権造」 当時のディレクターは「何をやっても素敵なボケになるんです」

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鬼瓦権造の衣装を着て

 次に三宅氏が強く記憶しているのが「たけし・さんまの有名人の集まる店」。さんま演じる貴子ママのスナックで、常連客である鬼瓦権造(たけし)とゲストの間でトークを展開する特番だった。1999年の出演時、坂本さんは権造の衣装とメイクで登場している。

「こちらから、この格好で出てくださいとお願いすることはありませんから、教授のアイデアだったのかなぁ。あの番組のセットは、カウンターがあってその脇にソファがあって。それでせっかく教授に出て頂くのだからと、ピアノを用意したんです。打合せの時に『何か弾いてくれますか』とお願いしたら、本番ではブギを弾いてくれました」

 ドカジャンに角刈りのヅラ、そして顔にはヒゲのメイクを入れてノリノリでピアノを弾く坂本さん。さんまとたけしの絶妙のツッコミが入り、番組は大団円となった。

「THE MANZAI」に出演した当時のYMOは人気絶頂で、ミュージシャンとしての地位を確立しており、アーティストとして活動の場を拡大していくところだった。その最中のバラエティ出演――三宅氏は、坂本さんはじめメンバーが「お笑い好き」という理由だけではなかったのでは、と考えている。

「ツービートや紳助・竜介といったMANZAIブームで台頭した人たちは、それまでの作家が書いた台本を演じるのではなく、自分たちでネタを考え、自分たちの言葉で表現しました。同じ時期に音楽の世界でも、自分の言葉や感性で、それまでにないジャンルを作り上げて音楽を作るミュージシャンが台頭してきた。『ひょうきん族』でもお世話になった大瀧詠一さん、EPOさん、そしてYMO。従来の型にとらわれず、新しいジャンルに刺激を求めて、色々なことにチャレンジする心の幅があったからこそ、出演して頂けたのではないでしょうか。『戦場のメリークリスマス』に出演したのもそうでしょうし、その現場で知り合ったたけしさんに刺激を受け、今度はお笑いやバラエティの世界へ。『ひょうきん』に出て頂いた時の教授は31歳。一番チャレンジする時期だったと思う。今の言葉で言うと“ワンランクアップで成長していく”という時期に、僕は教授に出会えたんだなと思います」

デイリー新潮編集部

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