マスク、行動制限を「お願い」で乗り切った日本 未だに「マスクを取ろう」と言えない空気が(古市憲寿)
3月13日、日本におけるマスク着用が「任意」に変わった。アメリカのようにマスク着用を法的義務にして、違反者に罰金を科していた国も多い。しかし日本では、公共空間でマスクをしていなくても逮捕されることや、罰金を求められることはなかった。
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ではなぜわざわざマスクは「個人の判断が基本」というアナウンスがなされたのか。その裏側には日本のコロナ政策のずるさがある。
この3年間の政策は、一言で言えば社会主義的だったと評価できるかもしれない。マスクに関しては、国が基本的対処方針という指針を公開していた。これを参考に、日本ライブハウス協会から地方競馬全国協会まで、日本中の業界がガイドラインを作らされた。この業種別ガイドラインは195種類にも及ぶ。
居酒屋でも飛行機でもコンサートでも、あらゆる場所でのマスク着用が求められたが、根拠はこの業種別ガイドラインにある。ガイドラインは法律ではないが、守らないことには外食もできないし、飛行機にも乗れない。こうして日本はマスク着用を実質的な義務にすることに成功した。
マスクに限らず、日本では緊急事態宣言下の行動制限も「お願い」で乗り切った。個人的に、罰則付きの法律を作らなかったことは評価している。ただでさえ同調圧力の強い国だ。外出したりマスクを外すことを違法化していたら、110番やSNSには「外を出歩く犯罪者」や「マスクをしていない犯罪者」の密告が相次いでいたかもしれない。
一方で政治家が腹をくくらなかったという批判もあるだろう。嫌われ役は専門家に任せて、政治家という立法行為のできる立場にありながら、その責任から逃れ続けていた。そして厳しいロックダウンをしたり、大量の犠牲者を出した欧米よりも、社会の正常化が約1年遅れてしまった。
数カ月前、ある航空会社の社員とこんな話をした。既に多くの国の飛行機でマスク着用は任意となっているが、日本での「お願い」はいつまで続くのかと聞いたら「世論を盛り上げてほしい」と返された。
もちろん会社として海外の動向は把握している。個人的にも任意でいいと思っている。だが「空気」が変わらない限り、航空会社発で「マスクを取ろう」とは言い出せないというのだ。
その「空気」を変えるという点で、マスクは「個人の判断が基本」とのアナウンスには意味がある。
もちろん3年にわたって続いた「空気」がすぐに変わることはないだろう。同時に3年間で実施された頭の悪い数々の政策を忘れないことも重要だ。レインボーブリッジを赤く染めた東京アラートなど、歴史に残る愚策だろう。ちなみにマスクの効果に関しても未だ議論が続いていて、科学的な結論は出ていない。
俵万智さんに「サラダ記念日」という短歌がある。本来は何でもない日さえ記念日になる。3月13日はそれに少し似ている。「外せばいいよ」と国が言ったから3月13日はマスク記念日。