コロナ禍はどうなった?音楽評論家がイタリアで見た光景 滞在中、日本のニュースにがく然としたワケ
1990年代初頭にバブルが崩壊して以降、今日にいたるまでの経済の低迷は「失われた30年」と呼ばれている。事実、その間、日本人の平均年収はほぼ横ばいで、30年前には韓国人の1.5倍ほどだったのが、いまではすっかり追い抜かれ、アメリカ人の6割程度にすぎない。
このままの状態が続けば「失われた40年」に突入する危険性が高い、と警鐘を鳴らすエコノミストは多い。そうしないためには、種々の問題を解決する必要があるにせよ、まずは国民一人ひとりの生産性を上げるほかない。
その点で、3年以上におよんだコロナ禍は好機だったはずである。周知のように、感染が最初に拡大した2020年の時点から、日本は感染者数も死者数も、人口も考慮したうえで欧米各国とくらべると一桁少なかった。
欧米の経済がたび重なるロックダウンで機能不全に陥っているとき、感染対策を講じながら社会および経済を適度に動かすという道を日本が選んでいれば、欧米とのあいだの開きつつある経済格差を少しでも埋め、反転の機会にすることができたはずである。
ところが、残念ながら、日本が選んだのは「失われた40年」を確実にする道だった。3月17日から25日まで取材旅行でイタリアに出かけ、強くそう思わざるを得なかった。
マスクをする人はきわめて例外
トルコのイスタンブールで飛行機を乗り換える際も、マスクをしている人を見た記憶はないが、ローマの空港に着き、翌日、イタリアの新幹線であるフレッチャロッサに乗ってナポリの劇場に着くまでのあいだ、私の視界に入った人のなかでマスクをしていたのはわずか2人だった。
密閉空間である劇場に入ると、屋外よりはマスクの着用が目立つ。とはいえ、雑駁な印象ではあるが、100人に1人か2人程度ではないだろうか。もちろん、劇場に入る際に検温の必要はなく、手指消毒のためのアルコールも置かれていない。
この3月の1日当たりの感染者数は、日本が2000人台から1万3000人台のあいだで推移したのに対し、イタリアはジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、3月に入っても2万人台と、必ずしも少ないといえない(同大学は3月9日を最後にデータの更新をやめている)。
死者数の累計は、日本の約7万4000人余りに対して、人口が6000万人余りと日本の半分以下のイタリアは18万9000人ほど。日本では交通事故死や自殺であっても、コロナに感染していればコロナ死にカウントしてきたので、現実には、その差はもっと開くのかもしれない。
しかし、いまのイタリアに、コロナの感染者数や死者数を報じるメディアは見当たらない。それどころか、昨年5月以降、イタリアにはコロナ対策がほぼ存在しておらず、「ウィズ・コロナ」を旗印に、社会や経済のありようはほぼコロナ前に戻った。
むろん、イタリアが例外なのではない。欧米諸国はほぼ軌を一にしており、もはや新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、世界各国で過去のものになっている。日本にいると気づきにくいが、3月13日にマスクの着用が個人の判断にゆだねられても、いまなお屋内外を問わず多数がマスクを着用し、5月8日までは2類感染症のままの日本こそが例外である。
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