【論点整理】意図的にカオスになっている? 「高市早苗」捏造文書論争の論点3つを冷静に検討

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議論がカオスに

 こうした疑問を国会でぶつけてきたのだが、このあたりは意識的に議論をカオスに向かわせている気配がしないでもない。

(C-1)については、高市氏の主張は「私に関する記述は捏造(≒事実無根)」だというものなので、総務省の中にあった行政文書であるかどうかは関係が無い。それぞれが使っている言葉の意味が異なっている。

(C-2)についてはすでに触れた通りで、「捏造していない」以外の答は現状考えられない。

(C-3)については、「文書にあるような内容の大臣レク」と「大臣レク」とを区別していないことから生まれる衝突である。総務省の答弁は、「文書にあるような内容の大臣レク」をしたという内容ではない。そして何らかの「大臣レク」があるのは当たり前である。

(C-4)については、単に「絶対」という言葉を使ったかどうかで、そもそも大した問題ではない。このポイントは大問題だと考えるのならば、関係者を国会に呼んで聞くのも有効だろうが、国民に時間のムダだと思われる可能性は高いだろう。

高市氏と総務省の言い分は大筋一致

 このように整理してみると、高市氏と総務省の言い分は大筋のところでは一致している、というのが客観的な評価ではないだろうか。

 もっとも、高市氏が「事実ではない」と言いたいがために「捏造」という言葉を使った点は、表現が乱暴だという批判はありえるかもしれない。捏造といった場合、悪意や明確な意思をもとにウソを書いたという意味合いになる。

 ただ、実際の国会中継や議事録を見ればわかる通り、国会での質疑の日本語はかなり雑というか、アバウトなものが多い。そのため、表現について過度に厳密さを求めると、議論が進まなくなる傾向がある。

 そうした口喧嘩のような議論をしないようにするためには、質問者と答弁者が協力して言葉の定義についても随時協議すれば良いのかもしれないが、そのようなことは滅多にない。
 
 いずれにせよ(1)は、立憲民主党側がテーマとしている放送法の問題とは別の次元の問題である。では、本題の(2)についてはどうか。

 これについては国会答弁を見ながら検証してみよう。

全2回の2回目に続く

デイリー新潮編集部

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