全国で撤去が進む“巨大仏” 「珍寺」巡り35年の愛好家が語る「オウム真理教」と「バブル崩壊」が落とした影

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観光地図にも載らない存在

 世界平和大観音像が造られた1982年(昭和57年)といえば、東北・上越新幹線が大宮を起点に開業し、500円硬貨が初めて発行された年。ソニーから世界初のCDプレーヤーとCDソフトが販売されるなど、日本はまだまだ右肩上がりの経済成長を続け好景気だった。そうした時代背景が高額の建築費を伴う巨大仏の建立を後押しした。

 一方、海外を見ると、長年緊張関係にあったアメリカとソ連の間で戦略兵器削減条約(START)の交渉がこの年に始まっている。日本には米ソによる核戦争に巻き込まれることを心配する人が多かった時代だ。核戦争などで1999年に人類が滅亡すると予言した「ノストラダムスの大予言」シリーズも発刊され続け、信じる人も多かった。「世界平和」という名は、そうした時代を反映したものでもある。

 なお、小嶋氏が訪れた1998年当時は「地元が発行する観光地図に載っていないなど、周囲から完全に無視されていました。あれだけ大きくて目立つのに」と、すでにその後を予感させる状態だったという。

バブル期に次々と造られた巨大仏

 世界平和大観音像の建立から5年後、バブル景気が始まると、数十億円という高額な建造費をものともせず、巨大仏が次々と建てられていった。

「石川県の加賀大観音(1988年、73メートル)、北海道の北海道大観音(1989年、88メートル)、長崎県の七ツ釜聖観音(1990年、40メートル)、宮城県の仙台大観音(1991年、100メートル)といった巨大仏が次々と建立されました。いずれもテーマパークなどの客寄せとして造られ、仏教寺院とは関係ありませんでした。まさにバブル期のノリです」

 小嶋氏によれば、集客のために大仏を作るのは、江戸時代からの手法だという。

「江戸末期から明治にかけて、大仏は人寄せを目的とした仮設の“見世物”の一種でした。つまり大仏とは、芝居小屋やお化け屋敷と同義のものだったのです。もっともその頃、見世物としてつくられた“大仏”は、木組みに紙を張り付けたハリボテでした。胎内巡りをセットとした現代の大観音などの雛型は、江戸時代にすでにあったんです」

 東京の地価が高騰し、“山手線の内側の土地価格だけで米全土が買える”と言われるほど膨らんだバブルが弾けると、日本は現在まで続く長い不況に突入する。バブル期に巨大仏を造った前出の4ヵ所に、仏の“ご加護”はなく、ほどなくいずれも破綻。七ツ釜聖観音は解体され、北海道大観音と仙台大観音は元の運営団体の手を離れそれぞれ某宗教法人の所有物になった。

 加賀大観音は撤去が検討されており、つい最近、航空障害灯が点灯せず、航空法違反の状態が続いていることが報じられた。誕生した経緯からその末路まで、バブル期の巨大仏もまた時代を象徴している。

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