全国で撤去が進む“巨大仏” 「珍寺」巡り35年の愛好家が語る「オウム真理教」と「バブル崩壊」が落とした影
神仏と個人の関係をリセットしたい
小嶋氏が“珍寺”に目覚めたのは、1987年(昭和62年)。香港にあった往時の「タイガーバームガーデン」を訪れた時だという。タイガーバームガーデンは、地獄や極楽を極彩色のキッチュなジオラマで表現した人気観光地だった。
「旅が好きなのと、美大で美術と建築の勉強をしていたことから、博物館や建築を見にあちこち行っていました。旅をする中で“ん? なんかおかしいな……”と違和感を覚えるお寺なんかに時々出会っていたんですが、以前は深く考えてませんでした。タイガーバームガーデンのヘンテコな神仏を見た時に、“神や仏は下から見上げて手を合わせるもの”という固定観念が崩れ、“身近な神仏”がいていいと思えたんです。この視点を得て、変わった寺社の魅力に気づくことができ、その後、珍寺を探す旅を始めました」
そこから35年、小嶋氏が珍寺を訪れ、記録、発表し続けている理由は何なのか。
「誰も作ってない百科事典を作りたい、というのが第一です。それから、“崇めるだけの宗教をもう終わりにして、自分のサイズに合わせた信仰を持ちませんか?”という提言をしたかったのです。これはオウムの事件へのアンサーでもあります。隷属的な信仰を終わらせて、神仏と個人の関係を一度リセットする契機になれば、と思い『珍寺大道場』というサイトを作りました。キレイはキタナイ、キタナイはキレイ。これが私の座右の銘です」
「大仏」&「巨大仏」は時代を映す
そんな小嶋氏が珍寺の「象徴的存在」かつ「時代を映すもの」としてあげるのが、大仏&巨大仏だ。おそらく多くの人は、大仏と言えば奈良・東大寺の盧舎那仏(752年、台座を含めた高さ18メートル)、を思い浮かべ、これが大仏の“スタンダード”と考えているだろう。つまり、大仏とはお寺にあり、大きさは20メートル弱ぐらいだと。
ところが、昭和以降にそのスタンダードサイズを大きく上回る巨大な大仏がたくさん作られていた。鉄筋コンクリート造など建築技術が進んだことで、高さ40メートル以上、中には100メートルという“巨大仏”が日本各地に造られた。しかも、仏教寺院とは関係ないものが多数存在したのだ。
小嶋氏によれば、その一例が解体された「世界平和大観音像」(1982年、100メートル)であり、まさに「時代を映す」巨大仏のひとつだったという。
「淡路島出身の実業家が大阪で成功し、35億円とも言われる私費を投じて建造しました。実際に、一時は観光地として人気になり、出身地の経済に貢献していました。個人の資金であれほどのものを造れたのは、日本の景気がすこぶる良かったから。昭和の高度成長期~昭和後期に建てられた大仏は、商売で成功した人が、故郷に錦を飾る形で建立するケースがよくありました。戦争で亡くなった方の鎮魂や世界平和をうたうのも特徴です。淡路島の大観音像の敷地は“豊清山平和観音寺”となっていましたが、宗教法人ではありませんでした」
[2/5ページ]