「逃げず、へこたれず、故郷に残した家族や愛する人たちのために」 日米の死闘から78年、「硫黄島」慰霊式典レポート

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日本軍将兵の95%が戦死

 WBCの興奮冷めやらぬ3月25日、かつて日米が死闘を繰り広げ、おびただしい数の戦死者を出した硫黄島で、両国の和解を象徴する式典が行われた。

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 東京23区から約1200キロ南の洋上に浮かぶ硫黄島に、1945年2月19日、海兵隊を中心とした10万人超の米軍が上陸。

 迎え撃つ約2万人の日本兵は、要塞化した島で3月26日まで抵抗を続けた。

 その結果、日本軍将兵の実に95%が戦死し、米軍側も2万8千人を超す死傷者を出した。

 この硫黄島での死闘は数多くの小説や映画などで描かれたので、今でもよく知られているところだろう。

栗林中将の孫

 島では1985年以降、日米合同での慰霊式典が行われるようになった。

「日本の兵士たちは50度を超えるような地下壕に耐え、食べるものも飲む水もないまま必死に戦い抜きました。圧倒的な兵力差の中にあっても、逃げず、へこたれず、故郷に残した家族や愛する人たちのために、最期まで自らの役を果たし続けました」

 そうスピーチした新藤義孝代議士(65)は、硫黄島守備隊司令官として部下と共に玉砕した、栗林忠道陸軍中将(戦死後大将)の孫だ。

 式典には硫黄島の生き残りの米軍の退役軍人たちの姿もあった。

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