先発野手のほとんどが「偵察要員」…今ではありえない「昭和のプロ野球」であった驚くべき珍采配
球史の残る“トンデモ奇策”
プロ野球の監督はチームの勝利のため、状況に応じてさまざまな作戦を用いるが、時にはあっと驚く珍采配が見られることもある。今では考えられない、「昭和期のプロ野球」で本当にあった驚くべき3つの采配を振り返ってみたい。【久保田龍雄/ライター】
スタメン9人中7人までが偵察要員という、球史に残る“トンデモ奇策”を披露したのが、大洋時代の三原脩監督である。
1962年9月22日の中日戦、この日川崎球場に詰めかけたファンは、試合前に発表された大洋の先発メンバーを見て、度肝を抜かれた。
1番ライト・青山勝巳(外野手)、2番レフト・松久保満(内野手)、3番センター・近藤和彦(外野手)、4番ショート・蓜島久美(捕手)、5番サード・的場祐剛(外野手)、6番セカンド・平山佳宏(投手)、7番ファースト・上田重夫(内野手)、8番捕手・山田忠男(捕手)、9番投手・秋山昇。ちなみに、カッコ内は本来のポジションである。
近藤と秋山以外はほとんど1軍で実績がない選手で、大洋ファンでも知らないような名前が並んでいた。三原監督も全員の名前を覚えきれなかったとみえ、1回表開始前、7人の交代を球審に告げる際にメモを持参していた。
“ルールの盲点”
そして、交代後は1番サード・アグウイリー、2番ファースト・島田幸雄、3番センター・近藤和彦、4番ショート・桑田武、5番ライト・グルン、6番レフト・長田幸雄、7番セカンド・鈴木武、8番捕手・島野雅亘、9番投手・秋山昇のオーダーに早変わりとなった。投手の秋山を除くと、野手は近藤以外の7人が“当て馬”だったのだ。
大胆な奇策が功を奏して、3対2で勝利した三原監督は試合後、ニンマリと笑った。
「何ということはないが、現在のルールではああいうような方法もできるということをファンに見せたかったんですよ。本当はするべきことじゃなかったですがね。ルールの盲点をついてみたんですよ。もちろん、左打者を有効に使おうということもありますが」
当時のセ・リーグは、9月10日以降、選手が交代してベンチに下がると、新たな出場登録を経ずして入れ替えが可能だった。この方法を使えば、ベンチ入り25人枠(当時)を超える入れ替えが可能になるし、2軍の選手も自由に使えるので、7人の偵察要員を使っても、代わりの選手には事欠かない。これが三原監督の言う“ルールの盲点”だった。
現在は予告先発制が定着し、偵察要員はほとんど見られなくなったが、何とか相手の裏をかこうと指揮官があれこれ知恵を絞った“だまし合い”の時代は、独特のワクワク感があったのも事実だった。
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