千代の富士のライバル・隆の里、時代を先駆けたビデオ研究 見過ぎてビデオデッキが2台壊れた逸話も(小林信也)

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一度で3勝の価値

 糖尿病を克服した研究と熱心さは相撲でも生かされた。ターゲットは「飛ぶ鳥を落とす勢い」で人気を博す千代の富士に向けられた。

「千代の富士に一度勝てば、3勝の価値がある」との信念で千代の富士の取り組みをビデオテープが擦り切れるほど繰り返し見た。見過ぎてビデオデッキが2台壊れたとも伝えられている。

 千代の富士のスピードを封じ、左腕を殺す、それが最大の鍵だと隆の里はにらんだ。右の相四つ。どうすれば左を与えず、自分だけが両回しを引いて万全の体勢に入れるか……。

 隆の里は、対千代の富士8連勝を飾る間に大関に昇進。83年9月場所には横綱に昇進した。その前後、83年7月場所から84年1月場所まで、隆の里と千代の富士は素晴らしい記録を残している。「4場所連続、千秋楽に相星決戦で優勝が決まる」、ファンにとっては願ってもない展開の主役を演じ続けたのだ(うち隆の里3勝)。中でも新横綱で迎えた83年9月場所の一番は名勝負に数えられている。

 序盤から攻勢を仕掛けたのは千代の富士だ。立ち合いすぐ左回しを取り、右回しも取った。隆の里は左脇があがり、回しに届かない。千代の富士が重い隆の里を吊って出る。右足を掛け、懸命にこらえる隆の里。結果的にこの強引な攻めが隆の里に勝機をもたらす。吊られて戻す隙に左回しを取った隆の里は、土俵中央で互角の体勢に持ち込んだ。それでも千代の富士が崩しにかかる。もう一度吊りに来たところを豪快に吊り返したのは隆の里だった。千代の富士の右足が大きく宙を舞い、そのまま土俵の外に運びだした。

 隆の里会心の一番。15戦全勝で、新横綱の場所を3度目の優勝で飾った。

 横綱、大関の低迷が案じられる昨今の角界からは夢のように思える活況がこの時代にはあった。その主役の一角が、雌伏の時期を耐え抜いて大成したことから、当時世間の話題をさらっていたNHK連続テレビ小説「おしん」になぞらえ「おしん横綱」と呼ばれた隆の里だった。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2023年3月30日号掲載

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