投手で7戦全敗、監督では2戦全敗…“ハマの番長”三浦大輔は“開幕白星”があまりに遠すぎる
ドラフト6位入団から開幕投手に
プロ野球の公式戦開幕も間近。投手なら誰もが「一度はやってみたい」と夢見る開幕投手だが、エース同士のプライドをかけたお互い一歩も譲れない“我慢比べ”の中で、開幕戦白星を挙げることができずに終わった悲運の投手がいた。【久保田龍雄/ライター】
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その代表格が、横浜エース時代に“ハマの番長”の異名をとった三浦大輔(現・DeNA監督)である。1999年から2009年まで計7度開幕投手を務めたが、NPB最多連敗記録の7戦全敗。勝利の女神は最後まで微笑むことがなかった。
1992年にドラフト6位で入団した三浦は「入ったころは、早く1軍に行きたいっていうことしか考えてなかった。1年目に1軍に上がれたことによって、今度は早く勝ちたい(93年に達成)。勝ったら、次はもう少し勝ちを増やしたい、規定投球回数に行きたい(95年に達成)、二桁勝ちたいって、今の自分でもう少し頑張れば何をクリアできるのかっていうのが常に頭にあった」と、一歩ずつ着実にプロの階段を上っていく。
そして、1997年に初めて二桁勝利(10勝)を記録した三浦は、翌年、開幕投手の有力候補になるが、権藤博監督は迷った末、2年目の川村丈夫を指名。三浦は第2戦の先発に回った。
この悔しさをバネに、同年は12勝7敗の好成績でチームの38年ぶりVと日本一に貢献し、翌99年、三浦は初めて開幕投手の座を掴んだ。
「教訓のゲームだった」
4月2日のヤクルト戦、三浦は2回、池山隆寛に左越えソロを浴びたものの、石井一久と互角に投げ合い、6回まで2安打2四球と試合をつくる。
だが、1対1の7回1死二、三塁のピンチに踏ん張りきれず、石井にダメ押しのタイムリー二塁打を許すなど、一挙4失点。「(7回)あの失点で“ああ、終わった”というのが出てしまった。何が起こるかわからないので、しっかりやりなさいという教訓のゲームだった」と、初体験ならではの反省点も多々あった。
2度目の開幕投手は2002年3月30日の広島戦。7敗の中で“最も惜しかった試合”と言われる。
三浦は1回2死から緒方孝市に安打を許したものの、2回から5回まではパーフェクトに抑える。味方打線も6回、内野安打に足を絡め、犠飛で1点を先制した。
だが、5回にディアスの打球を右すねに受け、6回以降、一転苦しい投球が続く。7回に犠飛で追いつかれると、8回にも2死一、二塁から新井貴浩に左前タイムリーを許し、無念の降板となった。
「状態は良かったが、納得できない。もうひと踏ん張りしなければいけない」と自身を責めた三浦だったが、7敗中自責点と防御率は最少にとどまり、打線の援護があればと惜しまれた。
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