大谷選手への栗山監督の「殺し文句」から始まった侍ジャパンの壮大なストーリー
WBCの展開をマンガか映画のようだと評する向きは多かった。最後の場面が大谷対トラウトなんて出来過ぎだ、と。
より長いスパンで見れば、大谷翔平選手に二刀流を勧めた栗山英樹監督が、日本代表の監督となり、そのチームに大谷が加わり、投打に大活躍して世界一に、というこの10年間のストーリーそのものが出来過ぎだともいえるだろう。
このストーリーの序章にあたるのが、栗山監督と大谷選手の出会いの場面なのは言うまでもない。メジャー行きを公言していた大谷選手を栗山監督が口説き落としたエピソードはあまりに有名だ。
著書『ザ・殺し文句』でこのエピソードを取り上げたこともあるコピーライターの川上徹也さんは、栗山監督は「殺し文句の名人」だ、という感をWBCで一層強くしたという。
以下、川上さんの特別寄稿である。
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二刀流を決めた「殺し文句」
『ザ・殺し文句』という本を書くために、さまざまな場面で繰り出された「必殺フレーズ」を集めたことがありました。田中角栄、松下幸之助、小泉純一郎等々が人を動かした言葉をコピーライターの視点で分析してみようと考えたのです。
栗山英樹日本ハムファイターズ監督が大谷翔平選手に言った一言――。
「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」
も、最高の殺し文句の一つとして取り上げました。
この言葉が生まれた背景はあまりにも有名でしょう。
もともと高校卒業後、メジャーに行くことを表明していた大谷選手をファイターズがドラフトで1位指名。
当初、「入団の可能性はゼロ」と語っていた大谷選手に対して球団は、卒業直後に渡米するよりも日本で実力をつけてからのほうが成功する確率が高いことを示す、30ページにも及ぶ資料を提出。さらに続けて「二刀流育成プラン」を提示して、大谷選手に訴えかけました。
栗山監督が交渉に同席したのは、3回目、4回目の交渉です。そこでは「翻意させに来たわけではない。一緒に夢をかなえたい」というスタンスで話をしたそうです。
そして最後に決め手となったといわれるのが「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」という殺し文句です。
その結果、メジャーに直行していたら許されなかったであろう二刀流に挑むことができ、現在につながっているわけです。
あの言葉がなかったら、今回のWBCの感動もなかったかもしれない。
そう考えると栗山監督の言葉の力には感謝してもしきれません。私同様、そんなふうに思う方も多いのではないでしょうか。
殺し文句の法則
栗山監督自身には「必殺のフレーズで口説けばイケる」などといった計算はなかったでしょう。誠心誠意ぶつかろうと考えて、思わず口にしたのがあの言葉だったのだと思います。事前に用意したような言葉は往々にして見透かされるものです。
ただ、結果としてそれは「殺し文句の法則」にかなった言葉になっていたと思います。
なんだその法則って?と思われるでしょうが、多くの殺し文句の構造を分析して私が法則化したものです。
全部で10カ条ありますが、「誰も歩いたことに~」はこのうち、(1)あなただけを強調する、(5)プライドをくすぐる、(10)本気でぶつかる、の三つを満たしています。
(1)の「あなただけを強調する」は、身近な例でいえば、「これを任せられるのは君しかいない」といったフレーズです。
このジャンルの殺し文句は野球界には多いようで、かつてFA宣言した落合博満選手を長嶋茂雄監督が口説く時には、
「お前の生き様を、ウチの若い選手に見せてやってくれ」
と言ったそうです。この言葉が入団の決め手になった、と落合選手は入団会見で語りました。
また、南海ホークス時代の野村克也監督が江夏豊投手に語った殺し文句も有名です。
「リリーフでオレと一緒に革命を起こしてみないか? これができるのは、日本の球界にはお前だけだ。この道の先駆者になってほしい」
栗山監督の言葉にかなり似ていることがおわかりでしょう。「お前だけ」が「先駆者」になれるのだ、という言葉に心を動かされて、江夏投手はリリーフに転向し、成功するのです。
田中角栄の言葉
(5)の「プライドをくすぐる」は(1)の延長線上にあります。これは言い換えれば「相手の自己重要感を満たしてあげる」ということです。
これは政治家が上手に使った例がいくつもあります。大正時代の総理大臣、原敬は毎朝訪れる陳情客の中で、朝一番の客には必ずこう語ったそうです。
「君の話は、いの一番に聞かねばならんと思ってね」
一方で最後まで待たせた客には次のように語りました。
「君の話はゆっくり聞かなければならないと思って、最後までお待ちいただきました」
どちらの客もいい気分になったことでしょう。
田中角栄が大蔵大臣時代に新人官僚たちに向けて言った言葉にも共通するものがあります。
「今日から、大臣室の扉は常に開けておくから、我と思わん者は誰でも訪ねて来てくれ」
今でこそ歴史に残る名選手となった大谷選手ですが、ドラフト直後は一人の高校生でした。その彼のために栗山監督らが特別なプランを用意して提案したことが、プライドをくすぐったという面はあったのではないでしょうか。
北条政子の演説
最後の(10)「本気でぶつかる」については、「何だ? 根性論か?」と思われるかもしれません。しかし、やはり人は本気でぶつかってくる相手に心が動きやすいということは肝に銘じておくべきでしょう。歴史上有名なものとしては、北条政子が御家人を前にして行った演説があります。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のハイライトでもありました(実際には彼女の文章を御家人の安達景盛が読んだという説もあるのですが、やぼは抜きにしておきましょう)。
「みんな心をひとつにして聞きなさい。これが最後の言葉だから」
で始まるのですから、本気が伝わってきます。この演説で御家人たちは団結し、後鳥羽上皇の企てた承久の乱は失敗に終わるのです。
殺し文句の見本市
先ほども述べた通り、栗山監督が殺し文句を口にするにあたって、このような法則を念頭に置いたり、計算をしたうえで戦略を練ったりしたとは思いません。とにかく彼を口説かねばという必死の思いが乗って、結果として強い言葉が生まれたと考えたほうがいいでしょう。
ただ、今回のWBC期間中の栗山監督の言葉を見ていると、「殺し文句」の使い手として天才的な能力を持っているのではないかと感じる場面も多々あります。
準決勝まで不調だった主砲、村上宗隆選手に対して9回の好機では「ムネ、お前に任せた。思い切っていってこい」と伝えたことがサヨナラ勝ちを呼んだとされています。それまでの成績から考えて、バントを指示されるかと思っていた村上選手は、この言葉でスイッチが入ったとのことでした。
これに限らず、記者会見やテレビ出演で選手やコーチ、栗山監督自身が明かしたエピソードの数々が、そのまま「殺し文句の見本市」のようになっています。たとえば、チームのために自己犠牲的な献身ぶりを見せたダルビッシュ有投手に対して、大会後「本当に申し訳ない。自分の調整もできなくて、本当に苦しかったよね」と「謝罪」の言葉を口にした、というのもその一つでしょう。
そもそも直近2回のWBC出場を見送っていたダルビッシュ有投手が今回出場を決心したのは、昨年12月、栗山監督が直々にアメリカまで来て「人生で一度でいいから先発メンバー表にダルビッシュの名前を書かせてくれ」と口説かれたことが大きかったといいます(この「殺し文句」も、前述の法則の(1)あなただけを強調する、(5)プライドをくすぐる、(10)本気でぶつかる、の三つを満たしていますね)。
こうした言葉を使えるようになるには、殺し文句の法則を頭に入れておくのは有効ではあります。しかし一方で技術が先行したところで、見透かされるのも先ほど述べた通りです。
できることは、多くの成功例を頭に入れたり、自分で感動した言葉やエピソードを覚えておいたりするということではないでしょうか。
栗山監督は、古典をはじめ多くの本に目を通して、心に残った言葉をノートに書き込んできたそうです。そうした蓄積をもとに、ここぞという場面では誠心誠意、本気で相手にぶつかる。そんな時に口から出る言葉が本物の殺し文句となるのだと思います。