警察庁長官狙撃事件、28年目の新証言で明らかになった「失敗捜査の戦犯」とは?
戸籍を偽造、先物取引で1億円近く蓄財
東大中退の中村受刑者は南米での革命運動への参加を夢想。活動資金を作るために金庫破りを繰り返した。そして56年、東京・吉祥寺で職務質問を受け、相手の警官の胸部や頭部に銃弾を撃ち込み射殺。殺人罪などで無期懲役刑となり千葉刑務所に18年間服役した後、76年に仮釈放となった。
出所後の人生は謎のベールに包まれていた。服役中に得た印刷技術で架空名義の戸籍を偽造して他人に成りすまし、先物取引で1億円近くを蓄財。その傍ら大阪などで現金輸送車を襲撃し、500万円を強奪した。しかし02年、名古屋の事件で現行犯逮捕されたのだ。
一方、件の元自衛官は高校中退後、陸自に入隊するも10カ月で辞め、渡米。93年、ロスで中村受刑者と知り合い、交流を続けたという。
その後の捜査で三重県のアジトから長官事件をほのめかす詩が記録されたフロッピーが発見された。新宿の貸金庫からも大量の銃器や弾薬類を押収。特命捜査班の結成につながった。
「事件の数日前と約1時間後に武器庫である新宿の貸金庫の開扉記録もあった。長官事件との関与が疑われたのは当然の流れです」
捜査に関わった捜査1課の元幹部はそう語る。
秘密の暴露
しかし捜査主体の公安部は04年7月、オウムの在家信者だった警視庁元巡査長ら3人を逮捕。これを推進したのがその3年前に公安部長に就任していた米村敏朗氏(71)だった。
しかし元巡査長の証言は「狙撃役」か「支援役」か判然としないまま変遷を繰り返し、東京地検は不起訴処分とした。逆にこの失敗捜査に反応し、中村受刑者は刑事に、
「私は事件2日前の3月28日、現場に居ました。その日、長官公用車のナンバーが変わったことで異変を感じ、警備体制が変更されたものと受け止めた」
と証言。この公用車変更の裏付けが取れた。現場に居た者にしか分からない“秘密の暴露”である。
そして08年、中村受刑者はついに「長官を狙撃しました」と自供。現場に遺留された韓国硬貨について、報道されていない正確な放置場所を供述。また事件に使われた拳銃はコルト社製のパイソンで、同じ銃を中村受刑者が87年、米国で購入していたことも裏付けられた。
ここまで証拠がそろいながら、特命班の捜査は、前述のハードルを理由に塩漬けにされた。その裏で公安部は時効直前、またもや元巡査長を「狙撃役」にしてあり得ない捜査に乗り出そうとしていた。この無謀を押し通そうとしたのが、時の警視総監、前出の米村氏である。だがさすがに東京地検も「根拠のない蒸し返し」として受け付けなかった。結果、中村受刑者の捜査は封殺されたまま事件は迷宮入りしてしまったのだ。
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