「太陽光発電」「AI」への礼賛はなぜ生まれた? 「未来はこうなる」という主張に振り回される人々

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「粗悪品」の集まり

 戦時中、東大への登竜門である一高に飛び級で入った誠に対し、勉強ができず兵学校すら落第した易は、暗い時代でも「失望することはお互いにやめよう」と提案したことがありました。誠は易の素朴さに苦笑しつつも「僕たちは希望のちっぽけな像をつくるために、いろんな粗悪品に裏切られるけれど、そんな粗悪品から傑作を作るということは素晴らしい」と答えて、一応受け入れる。しかしこのとき、二人は正反対の視点に立っています。

 易はあくまでも目の前にある失望だらけの世相を前提に、その中でも希望を探す生き方をしたい、と述べている。一方で誠は自分だけが脳内の論理で組み立てた未来の地平に立ち、そこから見れば現在あるすべては「粗悪品」にすぎないとする感覚を基にして、それを傑作に仕立てるのも悪くないね、と応じている。

 つまり現実を「粗悪品」の集まりへと変えてしまっているのは、実は誠自身の視点の取り方なのです。そうしたポジショニングの下で戦後、誠は見合った事業の実態なしに高利回りをうたう「太陽カンパニイ」を設立し、事実上の金融詐欺へと手を染めてゆきます。

 現在の世界には問題が山積みで、それらが「すべて解決した」という触れ込みの未来の青写真を示されると、私たちはつい現状への忌避感と相互不信を加速させる。しかし本当はその青写真こそが、探せば見つかるはずの希望の芽を摘み、目の前の景色をガラクタの山へと見せかけている「真犯人」かもしれません。

ニヒリズムからの卒業

 たとえば国家さえなければ人は自由に生きられるとするアナーキズム(無政府主義)の青写真を掲げ、目下の国家体制を全否定するといった論調も、2010年代の後半から流行してきました。しかしそうした識者が、「国家」による個人の生への統制がかつてないほど強まったコロナ禍での行動制限に抵抗した例は、ほぼ一人も目にしません。

 つまりその青写真は、川崎誠のように他人を蔑むことで自意識を満たそうとする、歪んだエリート意識の表われにすぎなかった。私たちは脱コロナに向かう動きと軌を一にして、敗戦直後にも等しかった『青の時代』のニヒリズムを今度こそ卒業し、社会としての成熟を目指すときでしょう。

 ナイーブな未来構想に基づくエコロジーをはじめとして、「未熟さ」ゆえに人を引きつけてきた一つの時代精神が、幕を下ろしつつあります。個々のスキャンダルや「炎上案件」をあおり立てるのではなく、次の時代に同じことを繰り返さないために、問題の本質を見抜く自己省察の姿勢こそが、いま求められています。

與那覇 潤(よなはじゅん)
評論家。1979年生まれ。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。精神科医・斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』(新潮選書)で小林秀雄賞受賞。2021年より歴史学者の呼称を放棄し、評論家として活動を開始。近著に『過剰可視化社会』(PHP新書)など。

週刊新潮 2023年3月23日号掲載

特別読物「実体なき『青写真』が暴走した果てに…『環境正義』時代の終焉」より

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