「太陽光発電」「AI」への礼賛はなぜ生まれた? 「未来はこうなる」という主張に振り回される人々
一種のダーク・ヒーロー
人間同士の信頼など価値がないとせせら笑って富を稼ぎ出す誠は、一種のダーク・ヒーローではあるものの、「東大生社長」の看板を鼻にかける俗物でもある。しかしそうした卑小な自己PRこそが、実際に事業を(一時的には)成功させる要因になっている。
大学名や職歴などの肩書ばかりを誇り「だから私を信用せよ」と主張する姿勢のいかがわしさは、誰もが知っていることでしょう。しかし青写真の内容が時代の気分と合致するときには、かえって矮小な宣伝法こそが、消費者にとってのお墨つきとして機能します。
通俗に徹することで大衆から利益を上げたいのか、俗人を嘲笑して自意識を満たしたいのかが、本人にすら曖昧でわからない。そうした矛盾を抱える誠を、三島は「まじめな贋物」と呼び、好悪なかばする存在として描き出しました。
作中で誠は三島と同じく、東大でも一番のエリートコースとされる法学部に進みます。誠には学歴主義者だった父親への対抗心から、画期的な学説を打ち立てて刑法学の教授になる野心があるのですが、今日示唆に富むのはその内容です。
今日の未来予測の原型
誠が構想する「数量刑法学」は、通常の刑法が犯罪を非常事態・犯罪のない日常を通常の事態と見るのに対して、犯罪を人間が幸福を求めて用いる普通の手段だと捉えます。さらに、経済的な平等に関して社会が配慮する必要はなく(共産主義の否定)、富の少なさに主観的な不幸を感じる者は、単に犯罪で他人から奪えばよいと考える。国家のエリートを気取る誠の裏面には、実はむしろアナーキーな志向もあるわけです。
数量刑法学が通説となれば、刑法は民法(私法)の一部に解消され、犯罪行為は国によって罰せられるというより「道徳的判断なしに全く私法的に解決される社会」が実現します。あらかじめ、いかなる動機ならどの程度情状酌量されるか、どういった損害がいくらの刑罰になるかが点数化されており、法廷は純粋にその足し引きだけをして、機械的に判決を出す。
誰もが気付くとおり、誠の構想は「人間の行為すべてをデータ化すれば、AIによるスコア評価がフェアな判定と見なされるようになる」といった、今日の未来予測の原型です。あるいは、いかにひんしゅくを買う言動が炎上しても「再生数が何回増え、フォロワーは何人減った」としか気にかけない、迷惑動画や過激な言論の配信者が跋扈(ばっこ)する目下のインターネット社会を予見したものともいえます。
[3/5ページ]