王貞治に世界新記録「756号」を打たれた男が固辞した“勇気ある投手賞” サイパンペア旅行に「ああいう招待はおかしい」

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1977年には自己最多の14勝

 王貞治に世界記録の通算756号を打たれた投手として、今もファンの記憶に残るヤクルトの右腕・鈴木康二朗さんが2019年11月に逝去していたことがこのほど明らかになった。享年70。【久保田龍雄/ライター】

 1972年にドラフト5位でヤクルトに入団した鈴木さんは、75年に1軍デビューをはたすと、翌76年には主に中継ぎとして43試合に登板。同年は打者としても打率.350、1本塁打をマークしたことから、10月21日の広島戦では代打に起用され、四球を選んでいる。

 そんな鈴木さんが14年間の現役生活で最も輝いたのは、自己最多の14勝を挙げた1977年だった。

 189センチの長身から投げ下ろすシンカーを武器に、先発ローテ入りした鈴木さんは、7月5日の巨人戦でプロ初完封となる2安打完封勝利を記録し、「終生忘れられない思い出」と感激に浸った。

 だが、それからわずか2ヵ月後にもうひとつ、「一生忘れられない思い出」をつくることになろうとは、本人も想像すらしていなかっただろう。

 巨人・王貞治が8月31日の大洋戦でハンク・アーロンと並ぶ通算755号を放ち、世界新記録に王手をかけたことが、鈴木さんの野球人生にも大きな影響を与える。

「サイパンはオレが行ってやるから、堂々と勝負しろ」

 全国の家庭では、王の打席が回ってくるたびに、家族全員がナイター中継のテレビの前に集まり、「いつ出るか」「今度こそ」と固唾をのんで見守った。

 筆者の家でも、巨人ファンの両親が、3番・王に1打席でも多く回すために「2番は土井(正三)、高田(繁)のどちらがいいか?」と論じ合った。学校でも友人同士で「昨夜も最後までナイター中継を見てしまった」「ウチもそうだ」の会話が半ば挨拶代わりに交わされ、まさに“国民的行事”のような盛り上がりだった。

 さらに756号を打たれた投手には、米国の航空会社から“勇気ある投手賞”としてサイパンペア旅行が贈られることが決まっていた。“玉砕”を連想させるサイパン招待(※第二次世界大戦中、サイパンは日米両軍の激戦地)は、王と対戦する各投手にとって、大きなプレッシャーとなり、「サイパンはオレが行ってやるから、堂々と勝負しろ」とハッパをかける監督もいたほど。今なら「悪ノリが過ぎる」と炎上していたかもしれない。

 そんな日本中を巻き込んだ騒動のなか、9月3日の巨人戦に先発した鈴木さんは、3回1死、王とこの日2度目の対戦を迎える。

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