「何度断っても電話、手紙が」 バドミントン「相沢・竹中組」を見いだしたコーチのひらめき(小林信也)

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〈相沢・竹中組〉の見出しが新聞紙上を賑わせたのは私が小学校6年の頃だ。新潟青陵女子短大の相沢マチ子と竹中悦子がバドミントン全日本女子ダブルスに優勝した。私が育った新潟県はスポーツが弱かったから、それだけで、雪国の少年は希望で沸き立った。

 相沢マチ子は1950年に新潟市内で生まれ、中高一貫の私学・新潟女子工芸中学(その後、新潟青陵女子中学に改称)に入った。

「あのころバドミントンがはやっていて、家の前で隣のお兄ちゃんとよく羽根を打ち合っていました。...

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