物価高騰で「駄菓子屋」の苦境 昭和24年創業「ぎふ屋」店主は「1番人気のうまい棒は“大人価格”で」「メーカーはこれからが正念場」

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0歳から100歳まで

土屋:そもそも近くに駄菓子屋がないということもあるのでしょうが、当たりくじのついた駄菓子も新鮮なようです。昭和30年代をモデルにしたのも良かったのでしょう。床もコンクリートでしたが板を敷いて小学校の廊下風にしました。すると大人のお客さんが「こんな昔のオモチャがあるよ」と持ってきてくれたりするようになった。商品棚の上に乗っているウルトラマンの人形などがそれですよ。

――時間帯によって客層が変わるという。

土屋:午前中はベビーカーを押したお母さんがやって来る。学校が終わると子供たち、夕方になると大人が来て、遅くまで開けていた頃は酔っ払いがツマミを求めてやって来ました。駄菓子というのはニッチな商売だけど、0歳から100歳まで全ての年齢層のお客さんが来てくれるようになれば、ニッチではなくなると考えているんです。

――ところが、この物価高である。大変では?

土屋:値上げしたり、値段は同じでも量の減った商品が増えましたね。もっとも、それは初めてのことではありません。今に始まったことじゃない。2008年頃も廃業に追い込まれた駄菓子メーカーや価格を上げざるを得なくなったメーカーがありました。

――08年は原油価格が高騰し、小麦粉や砂糖、プラスチック容器などの価格も上がった。

これからが正念場

土屋:当時は国内の影響はそれほどでもなかったので、持続化給付金なんてものもない。それでも銀行からの融資はが止められた。「こんな商売いつまで続けられると思ってる?」なんて言われて家庭内手工業の駄菓子メーカーはモロに影響を受けたんです。今は何百品目の値段が上がるとテレビでも報じているから、消費者も値上げを仕方ないと受け入れてくれるからまだマシなのかもしれません。もっとも、持続化給付金の返済がそろそろ始まりますから、これからが駄菓子メーカーにとっては正念場かもしれません。

――売上は減っていないのか。

土屋:苦しくないとは言いません。でも、他のお店だって同じでしょう。そうは言ってもコロナ禍で他に行くところのない子供がよく来てくれた。大人はお金持ってないけど、今の子供はお金を持っているんですよ。1万円札なんて持っている子にどうしたのか聞くと、「おじいちゃんおばあちゃんがお年玉を振り込んでくれる」と。田舎の祖父母とは会えないけれど、懐は温かいようですよ。

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