「偏差値トップクラスの大学でも基本的な言葉すら知らない」 現代人の語彙力の低下と、その鍛え方 宮崎哲弥×齋藤孝
「上級語彙」とは
宮崎 言語学者の鈴木孝夫氏は「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」の数々を「基本語彙」と呼び、それに対して「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」と名づけました。この度上木(じょうぼく)した『教養としての上級語彙』(新潮選書)では、その二つの中間あたりに位置し、日常語というほど頻繁には使われないけれども、本や硬めの文書、かしこまったスピーチや講演などには登場する、やや難しい言葉や言い回し、語彙を「上級語彙」と定義し、それらを取り上げています。
――少し前に「上級国民」という言葉が世間に広まりました。非常にネガティブな意味合いでしたが、同じ「上級」を冠した概念を作ったのは、「反時代的」ですね。
『吾輩は猫である』も読めなくなる?
宮崎 いや、この「上級」にはそんな意味合いはみじんもないですよ。例えば外国語学習の世界などでは普通に使われる言葉です。「TOEIC950点超えに必須の上級語彙」とね。
ただ、高級官僚が好んで使う「霞が関用語」の上級語彙はありますね。有名なのは「忖度」。これが「森友・加計問題」で、にわかに世間一般に広まりました。もはや「忖度」をニュートラルには使えなくなってしまった(笑)。原意は「他人の心中を推し量る」ことですが、霞が関の役人はもっと自嘲的に、「閣僚など大物政治家の意向や都合をあらかじめくみ取って、それに沿うように行動する」みたいな意味で使っていた。ついでに言えば、戦前から昭和30年代ごろまでの政治家は弁舌に長けていました。名演説とされるものも多かった。これは「漢籍の教養」がまだ生きていたからですね。政治家側にも、演説に耳を傾ける人々のあいだにも、漢文の素養がありました。
齋藤 確かに昭和30年代は、まだ戦前の教養文化が残っていましたね。
宮崎 このまま語彙力が衰えていけば早晩、近代を代表する文学作品、例えば『吾輩は猫である』を読みこなすことも困難になるでしょう。齋藤さんはご著作『大人の語彙力大全』(中経の文庫)の最終章で、夏目漱石の文から抜き出した言葉を「漱石語」として解説されていましたが、それが必携になりますね。
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