【放送法問題】政治報道を巡る「自民党vs.テレビ」の長き戦い 田中角栄の“目論見”と本当の問題点
佐藤元首相の時代から放送免許に言及
放送法についての総務省の行政文書を巡り、与野党の攻防戦が続いている。背景には自民党がテレビの政治報道を抑えつけようとしてきた歴史がある。「自民党vs.テレビ」の現在地までを振り返らないと、放送法問題の核心部分は見えてこない。ただし、テレビは敗れ続けてきた。
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「テレビカメラはどこかね。新聞記者の諸君には話さないようにしているんだ」
そう語ったのは佐藤栄作元首相。安倍晋三元首相の叔父である。1972年6月、自らの退陣会見時だった。
当時、佐藤氏と新聞各社の関係は悪化していた。沖縄返還を巡る佐藤氏と米国側の密約が新聞で報道されたことなどが理由だ。かといって佐藤氏がテレビ贔屓だったかというと、それは全く違う。
ベトナム戦争関連の番組を放送したNET(現・テレビ朝日)の首脳陣に対し、佐藤氏は「番組をつくるのは勝手だが、(放送)免許のことはこちらの勝手だからな」と告げた。『楠田實日記 佐藤栄作総理首席秘書官の二〇〇〇日』(中央公論新社)にそう書かれている。楠田氏は首席秘書官だった。
佐藤政権とテレビ界は絶えず緊張関係にあった。それが緩和されたのは後任の田中角栄元首相になってから。1972年7月のことだ。
「私は国民の代表であるマスメディアをシャットアウトしたり、壁を設けたりすることはしたくない。それは国民の気持ちと遊離した密室の政治につながるからだ」(『東京新聞』1972年7月6日朝刊)
模範的発言だが、メディアは自分に味方をするという自信が背景にあったからに違いない。
クロスオーナーシップ制度の原型をつくった田中元首相
田中氏は郵政相(現・総務相)時代の1957年、民放34局とNHK7局に開局の予備免許を与え、現在の民放界の土台をつくり上げた。多くのテレビ局が田中氏のお陰で生まれた。
テレビと新聞が強く結び付くクロスオーナーシップ制度の原型をつくり上げたのも田中氏だ。これを許すと言論の幅が狭まる上、グループ内のテレビと新聞は庇い合うから、海外先進国では禁止か規制されている。もっとも、政権にとっては都合の良い制度なのだ。
政権はテレビに対し、放送免許取り消しという伝家の宝刀を持っているが、新聞を規制することは難しい。それをやると、言論の自由を侵すことになり、憲法違反に問われかねない。
しかし、政権が気にくわない新聞の系列テレビ局を免許取り消しにしたら、その新聞は大いに困る。潰れるかも知れない。クロスオーナーシップ制度があると、政権は新聞にも影響力を行使できる。
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