共産党が松竹伸幸氏に続き“京都の実力者”も除名の異常事態 問われる「市田」「穀田」の人間性

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大学教授も批判

 除名を巡る議論は、なかなか進まない。この状況に噛みついたのが、元参議院議員で共産党副委員長の市田忠義氏(80)だった。2月5日に自身のFacebookに「鈴木元氏も予想していた通りの転落ぶりですね。『俺が俺が』の人物の哀れな末路を見る思いがします」と投稿したのだ。

 この投稿は後に削除されたが、リアルタイムで閲覧した関係者がTwitterにキャプチャー画像や感想を投稿している。

 さらに、穀田恵二・国対委員長(76)も3月15日の記者会見で鈴木氏を「けしからん」と批判し、処分をどうするのか記者に質問されると「調査中」と答えた。

「結局、党中央はどうしても鈴木氏を除名したかったのでしょう。府委員会での決定プロセスを飛ばし、『中央委員会で除名処分を承認』という荒技で決着を図りました。とはいえ、鈴木氏を慕う党員の多さと党の焦りも浮き彫りにしたと言えます。もちろん鈴木氏は除名の決定プロセスがおかしいことは承知しており、これから正面切って批判するに違いありません」(同・関係者)

 YAHOO!ニュースに転載された毎日新聞記事のコメント欄に、一橋大学大学院社会学研究科教授の中北浩爾氏が《もうため息しか出ません》と投稿している。

《綱領や規約の解釈権を党指導部が独占し、それに基づき処分を行う。党内民主主義が十分に機能していないことを示しています》

内ゲバと同じ

 Twitterでも批判の声が相次いだ。《完全なる言論弾圧》、《言論の自由のない全体主義政党の共産党》、《共産党の下部員には言論の自由はなく、志位氏の独裁は続く》――という具合だ。

「批判が相次ぐのは当然ですが、『綱領や規約の解釈権』とか『言論弾圧』などの指摘は、やや高尚すぎるかもしれません。実際のところ、そんな次元の話ではないのです。除名騒動は人間関係の対立が原因で、要するに醜悪なケンカです。登場人物の経歴を見れば簡単に分かります」(同・関係者)

 以下に市田、鈴木、穀田、松竹4氏の経歴を、世代が分かりやすいよう元号も併記して紹介する。

 市田氏は1942(昭和17)年に大阪府で生まれ、立命館大学法学部の夜間部を卒業。1988(昭和63)年に日本共産党京都府委員会委員長に就任した。

 鈴木氏は1944(昭和19)年に同じく大阪府で生まれ、立命館大学経済学部を卒業。その後は日本共産党京都北地区委員会や府委員会で常任委員を務めた。

 穀田氏は1947(昭和22)年に岩手県で生まれ、立命館大学文学部を卒業。1987(昭和62)年に共産党の公認候補として京都市議選に立候補して当選。1993(平成5)年の衆議院議員選挙で旧京都1区から立候補して当選を果たした。

 一方、松竹氏は1955(昭和30)年に長崎県で生まれており、上の3人とは世代が違う。高校は兵庫の県立高校だったが、大学は東京の一橋大学を卒業。その後は日本民主青年同盟(民青同盟)役員、日本共産党国会議員秘書などを歴任した。

「市田さん、鈴木さん、穀田さんの3人は同じ立命館大学のOBで、京都での党活動で頭角を現しました。つまり今回の除名騒動は、内ゲバのようなものです。市田さんが“親分”で穀田さんが“子分”。そして市田さんと鈴木さんの対立は有名でした」(同・関係者)

 京都の党員が「あと30分で会議が終わる。それまで待っていてくれ」と指示されたとする。だが、1時間が経っても会議は全く終わらない。

「不思議に思って会議室を覗いてみると、市田さんと鈴木さんが口角泡を飛ばす激しい議論を繰り広げていた、こんな話は枚挙に遑がありません。市田・穀田コンビと鈴木さんは、まさに水と油の関係なのです」(同・関係者)

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