あれから50年…無敵の怪物「江川卓」がセンバツで敗れ去った日

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「いかにして江川を打たずして勝つか」

 さらに江川は、準々決勝では今治西を7回1死までパーフェクトに抑え、被安打1の20奪三振でねじ伏せる。今治西・矢野正昭監督は「もう1回やっても打てる気がしない」とうなだれた。

 そして、センバツVまであと2勝に迫った作新の準決勝の相手は、古豪・広島商だった。技巧派左腕・佃正樹が3試合連続完封を記録も、打線は3試計12安打5得点のチーム打率.154。数字だけを見れば、江川を打ち崩すのは、至難の業に思えた。

 迫田穆成監督も「あれだけの投手を打ち崩す作戦だなんて、今さら何をやっても通用しないですよ」と予防線を張ったが、胸中には秘策があった。

 それは「いかにして江川を打たずして勝つか」だった。

 2ストライクまでは待球戦法を取り、ボール60個分に設定したストライクゾーンのうち、手を出していいのは、外角低めギリギリの1個分だけ。たとえ2ストライクからど真ん中の球が来ても、「三振してもいいから見逃してこい」と指示した。

 この結果、外角低めだけを意識した打者は、自ずと高めに手を出さなくなり、当然江川の球数も増える。迫田監督は5回までに100球以上投げさせれば、江川が疲れはじめる6回以降に勝機が生まれると読んだ。

 4月5日の準決勝、広島商の各打者は、江川に内角を突かせないよう、ベースに覆いかぶさるようにして、ウェイティングに徹する。江川は初回に2三振を奪ったが、いずれもフルカウントから。高めに手を出さない広島商打線に手を焼いた江川は、2回にもフルカウントから3連続四球。これほど苦しむ江川を見るのは初めてだった。

「野球はやっぱり記録じゃないですね」

 だが、5回に作新は1点を先制。「これで勝った」というムードになったが、その裏、広島商も執念の粘りを見せる。

 1死から達川光男が四球。2死二塁で9番・佃があえて江川の高めを強振し、球速に押されて詰まりながらも右前に落とす。この瞬間、前年秋から139イニング続いた江川の無失点記録が途切れた。

 2007年に他界した佃氏は生前、この場面を「作新は前の回に1点入れて、江川も“勝負あった”と思ったのでしょう。なめていたわけではないのでしょうが、“点は取れたし、下位打線だし”というちょっとした気持ちの変化があったのかもしれませんね」と回想している。

 5回を終わって江川の投球数は104。「100球以上」の目標をはたした広島商ナインは「イケる!」と自信を深めた。そして、1対1の8回2死一、二塁、広島商は重盗の奇襲で、捕手の三塁悪送球を誘発させ、2対1と勝ち越し。「江川を倒すにはこれしかない」という一か八かの作戦がズバリ的中した。

 被安打2、奪三振11ながら、8四球を許した江川は「野球はやっぱり記録じゃないですね。一人相撲を取っているうちは、“沢村(栄治)2世”“記録男”という評判と人気が恥ずかしいですね」と反省の言葉を口にした。

 一方、見事江川を一敗地にまみれさせた迫田監督は、準決勝が雨で順延になった前日にも、「このくらいの雨だったら、絶対試合をやりたかった」と残念がり、「雨の中ならどんなことが起こるかもわからない」と、雨を味方につけた江川攻略法をほのめかしていた。

 はたして、同年夏、江川は銚子商との雨中の延長戦でコントロールを乱し、サヨナラ押し出し四球で敗れ去った。その後の野球人生でも“敗れても記憶に残る男”でありつづけた江川の原点は、50年前のセンバツの広島商戦だったように思えてならない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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